藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

変える力と変えないリスク。

個人的には集団的自衛権の問題は、論点を整理して国民投票も経て、というプロセスでやればいいと思うが、最近のアメリカの様子を見ても、もう「互いに守りあう時代」は「集団で圧力をかけあう時代」でもあったのでそろそろ「自分のことは自分で」という意識が日本にあってもよいのではないだろうか。
 結局米国の庇護を当てにしていたり、自立を求めたり、社会人になれない精神状態の甘さが日本にはあるのではないだろうか。
というような私ごときの国防論なんぞはともかく。

巷の識者や高官の「自衛権問題発言」を聞いてとても気になったこと。

「なぜ今憲法解釈を変えなきゃいけないのか、その理由がわからない。」
これ、実はとっても言い易いのだ。
というか「こういうこと」ばかりを言っていると「この立場の楽さ」に慣れ"クセになって"てしまうのだ。

物事を変える、というのは結果が良くなっても悪くなっても大変なパワーが要るものである。
従って「一人前の顔」をしているには「いかがなものか」と言っていればいい。
とても「もっともらしく」聞こえるのである。

でも自分はそっち側には居たくないと思っている。
そういう風に「格好をつけること」を覚えてしまったら面白くないと思うのだ。
何か「大人になりたくない症候群」のおっさん版のような感じもするが、変えるリスクを考えるよりも変えるための方法とかに力を注ぎたいのだ。

こうした気持が強くなったのはここ最近のことで、どうやら年とともにたぶん「心の老化」に抗っているように感じている。
精神の老化は自分の努力でコントロールできるものだと思いたい。