藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

池上講義録より。

憲法記念日だが、あまり憲法改正の話は盛り上がらず。
結局連休明けには「首相の意向を反映した」レポートが出て、いよいよ政治勝負になるという。

憲法9条というか、憲法はそもそも自国で草案したものではないのだが、まず憲法96条で改正への発議をし、それから衆参両院で2/3以上で可決し、国民投票過半数以上で・・・・と実にハードルは高い。
ならばと、解釈改憲で、「対象は日本と密接な国」とか「放っておいては日本がアブない場合」とかウダウダと条件をつけたり。
まったくまどろっこしい。

まどろっこしくはあるが、とても難しい問題である。

結局友人が巻き込まれたケンカに、自分はどうするのかという問いである。

普通は、その友を見捨てはしない。
けれど、それも場合にもよる。

その友人が仕掛け、明らかに非がある場合はどうするか。
その場合は「一緒に謝るのみ」である。
理由はどうあれ、反撃に加担することはない。

また、一緒に身を守ることはするけれど、「攻撃」はしない。
(攻撃しないと自分が死ぬ、という正当防衛は別)

またその'友人たちグループ'が他の集団と闘っている場合はどうか。
これは「その戦いの趣旨」を国内で問うて、支援するかどうかを決める。

自分は実践に参加せず、「お金だけ」を渡して知らんふりをしている、というのではなく、明確に「賛意の有無」は意思表示する必要があるだろう。
だが、その場合にも「攻撃」はしない。

では自分がケンカの当事者ならどうするか?
これはやはり「攻撃はしない」だろう。
せっかくの日本である。
専守防衛、攻撃せず。
ただし正当防衛は別。

毅然とした方針を持っておかないと、この問題は結局国際社会に必ず引きずられることで将来の揉め事の種になるに違いない。
国民投票が増えるかもしれないが、市民はアホ、と衆愚政治を気取っていても政治の質は良くならないだろう。
有権者も真面目に考える機会になっていくと思う。

今、改めて問い直す「平和」の意味
戦後世界のかたち(11) 東工大講義録から

2014/4/28 3:30
日本経済新聞 電子版
 安倍晋三政権が「集団的自衛権」を容認しようとしています。歴代内閣は「憲法9条の下では権利はあっても行使はできない」と判断してきただけに、大きな転換点となります。自衛隊の海外展開を巡っては、「国際貢献」を理由に1992年(平成4年)にカンボジアで参加した国連PKO(平和維持活動)が大きな節目となりました。今、平和憲法の根幹が揺れ動いているのです。

自衛隊の活動範囲はどこまでか


 「集団的自衛権」は、主権国家保有する固有の権利として国連憲章でも認められています。日本の領土が直接攻撃されていなくても、関係の深い米国のような国の艦船などが攻撃を受けた場合に、日本が攻撃されたものとみなして、自衛隊が持つ力を使って反撃できるという考え方です。

 戦後、憲法9条で「戦争放棄」を掲げてきた日本は、集団的自衛権国際紛争解決のための武力の行使を禁止した憲法に違反するとして、権利はあっても行使はできないと歴代内閣が判断してきました。ところが、安倍政権になって、集団的自衛権を行使できるようにして、自衛隊を同盟国である米軍の活動に協力、あるいは支援ができる体制にしていこうと舵(かじ)を大きく切り始めたのです。

オバマ米大統領(左)は24日の日米首脳会談後の共同記者会見で、「日本の施政下にある領土、尖閣諸島を含め、日米安保条約第5条の適用対象になる」と明言した。
オバマ米大統領(左)は24日の日米首脳会談後の共同記者会見で、「日本の施政下にある領土、尖閣諸島を含め、日米安保条約第5条の適用対象になる」と明言した。

 背景にあるのは、日本周辺を巡る安全保障環境の大きな変化です。北朝鮮核兵器や長距離ミサイルを開発しています。さらに中国が国防力を増強して、空や海での展開力を増し、台頭しつつあることです。また、日本が輸入する原油の大半を依存する中東で、米国が紛争に巻き込まれたような場合に、米軍に協力できるようにするケースも考えられます。

 安倍首相は常に「自分の国は自分で守る」「自衛隊国防軍に格上げする」という姿勢を打ち出してきました。就任直後は、圧倒的な議席数を背景に憲法改正に踏み切るのではないかともみられましたが、憲法解釈の変更によって自衛隊の活動範囲や活動内容を見直そうとしているのです。これを「解釈改憲」と批判する人もいます。正々堂々と憲法改正を提案しないで、解釈を変えることで、実質的に憲法を改正したことになるという批判です。

■戦後の転機となったPKО派遣

 容認のための解釈を検討するため、安倍首相は有識者による「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を設け、議論を重ねています。同懇談会では、現時点で行使のための6つの条件を掲げています。

・対象は日本と密接な関係にある国

・放置すれば日本の安全に重要な影響が出る場合

・当該国からの明確な要請

・第三国の領域を通過するには許可が必要

・首相が総合的に判断

・原則、国会の事前承認を得る。緊急時は事後承認

 報道によれば、同懇談会は5月の大型連休明けにも報告書を提出する計画です。これを受けて安倍首相は与党での協議を始め、今夏にも「行使容認」を閣議決定しようとしています。年末に控える日米防衛協力の指針(ガイドライン)の再改定に備えているとみられています。

いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)。長野県出身。63歳。
いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)。長野県出身。63歳。

 ただ、与党を組む公明党は、日本が海外での戦争に巻き込まれることを懸念して、慎重な姿勢を見せています。懇談会以外の憲法学者有識者の間でも、「憲法解釈の変更では難しい。憲法改正が不可欠である」との指摘があります。

 4月に実施した8%への消費増税が一段落したいま、防衛問題が大きなキーワードになっています。

 戦後の日本には、与野党ともに、自衛隊に関しては総じて「あくまで自衛のための組織だから海外には行くべきではない」という共通の考え方がありました。その自衛隊の活動領域を海外に広げる議論のきっかけになったのは、1991年(平成3年)の湾岸戦争です。

 当時の米国のブッシュ大統領パパ・ブッシュ)は、前年にイラクが侵攻したクウェートを取り戻すために、粘り強く各国にはたらきかけて多国籍軍をつくりました。この時、多国籍軍に日本の自衛隊も参加してほしいという圧力がかかったのです。

 でも、自衛隊は日本の国を守るものであって、ほかの国の戦争に参加するものではないと日本政府は主張しました。「専守防衛」という考え方です。その代わり、日本は2度に分けて多国籍軍に40億ドルと90億ドル、合計130億ドルという巨額の資金援助をしたのです。1兆円をはるかに上回る巨額の援助でした。

■激論の末、PKO協力法成立

 多国籍軍の圧倒的な攻撃に敗れたイラククウェートから撤退し、多国籍軍が勝利しました。そのあとクウェートは、祖国を解放してくれた世界の人々に感謝の気持ちを表明するため、『ニューヨーク・タイムズ』など各国の主要な新聞紙面に支援国の名前を挙げました。その中に日本は入っていなかったのです。

 当時、日本国内では「130億ドルも援助したのになぜ感謝されないのか」という議論が起こりました。そして「それは、血を流すことも、汗を流すことも嫌だ。金で解決しようという考え方がいけないのではないか」という結論になったのです。

 ここから、自衛隊を海外に派遣させる仕組みが議論され、1992年(平成4年)、国連平和維持活動協力法(通称「国連PKO協力法」)の成立につながったのです。国会では大激論となりました。

南スーダン・ジュバの国連平和維持活動(PKO)拠点で、避難民の親子を診察する陸上自衛隊の隊員(2013年12月)=共同
南スーダン・ジュバの国連平和維持活動(PKO)拠点で、避難民の親子を診察する陸上自衛隊の隊員(2013年12月)=共同

 そもそもPKO(Peace keeping Operations)とは、「平和維持活動」と外務省は訳しています。Peaceとは「平和」。Keepingは「維持」。Operationsは通常「作戦」と訳されます。だからPKOとは、本当は「平和維持作戦」なのです。

 ところが「作戦」という言葉が入ると、自衛隊が海外で戦うイメージが湧いてしまいます。そこで「作戦」と訳さず、「活動」と訳したわけです。誤訳ではないかもしれませんが、これ自体がそもそも微妙な解釈なのです。

 通常、海外では協力が必要な地域にPKOを送り込んで平和維持活動をします。日本は活動を2段階に分け、PKOには軍隊を派遣する部分と、軍隊ではなくて後方で治安維持やインフラ整備にあたる2通りがあると分けているのです。

南スーダンで直面していること

 例えば、自衛隊が現在活動しているのは、アフリカのスーダンから2011年(平成23年)に独立した南スーダンです。スーダンでは第2次世界大戦後、2度にわたって合計40年近く内戦が続いていました。スーダン南スーダンの間で、国境付近にある油田はどちらのものかを巡る紛争が続く地域に、国連のPKOが派遣されているのです。自衛隊は戦火に巻き込まれる恐れが低い道路整備などの社会基盤整備や、避難民の保護を担当しています。

 最近は、避難民が大勢逃げてきたため、避難民に水を与えたり、病気の人を治療したりしています。こんな時、治安が悪化したから自衛隊は引き揚げなさいということになると、困っている避難民を見捨てて逃げていくのかという国際的な非難を浴びます。そういう事態の中で、治安が悪化し、もし自衛隊が助けている避難民と敵対する民族が宿営地を襲撃してきたら、自衛隊はどうするのでしょうか。

カンボジアポル・ポト政権の下、数百万人規模の人々が犠牲となり、国づくりの大きな障害となっている(プノンペン近郊の「キリング・フィールド」に保存されたポル・ポト派による犠牲者の遺骨)=共同
カンボジアポル・ポト政権の下、数百万人規模の人々が犠牲となり、国づくりの大きな障害となっている(プノンペン近郊の「キリング・フィールド」に保存されたポル・ポト派による犠牲者の遺骨)=共同

 当然、自衛隊は自分の身を守るために戦うでしょう。でも自衛隊として戦ったら、戦争と解釈される恐れがあります。自衛隊にも正当防衛の権利がありますが、いざという時にはPKO活動に参加している別の国の軍隊が自衛隊を守ってくれることになっています。

 一方で、日本を守ってくれる外国軍が攻撃を受けたらどうすべきでしょうか。もちろん、日本の立場からすれば「自衛隊が攻撃されたわけでないから、正当防衛には当たらない。だから反撃するわけにはいかない」という説明も成り立つでしょう。

 しかし、攻撃を受けている外国軍を放置し、多くの兵士が犠牲になってしまう事態になったら、「なぜ日本の自衛隊は助けてくれなかったのか」と国際社会から猛烈な非難を浴びるかもしれません。危機が迫っている時に、国会で議論している時間の余裕はありません。自衛隊にとってPKO自体も非常に難しい活動なのです。

 自衛隊員が生命の危険にさらされる可能性もゼロではないのです。

 では、日本初のPKO参加となったカンボジアでの取り組みを振り返ってみましょう。ちょうどカンボジアで、ベトナムの支援を受けたヘン・サムリン軍と中国の支援を受けていたポル・ポトとの長年にわたる内戦が終わりました。国家は疲弊していました。

 1991年(平成3年)にはパリ和平協定が結ばれ、国連が「国連カンボジア暫定統治機構」(UNTAC)をつくって暫定的に統治し、その下で憲法制定議会の選挙を実施。シアヌーク殿下が国王に復帰するという筋道ができました。

 カンボジアの和平を維持するために、「アジアの大国である日本が何とかしてください」ということになり、UNTACの代表に就任したのが国連事務次長を務めていた明石康氏でした。もちろん国連には「明石氏をトップにするのだから、日本としても何か責任を持ってくれる」という期待がありました。日本はカンボジアの再建にお金を出し、あるいは自衛隊も初めてPKOに出ていくということになりました。

 この時、日本国内では激論が交わされました。「これは自衛隊の海外派遣ではないか」「日本の自衛隊を海外に軍隊として派遣することになるのではないか」「よその国で戦争に巻き込まれたらどうするのだ。戦争を放棄した日本の理想を否定することになるのではないか」という議論でした。

カンボジアで2人の犠牲者

 その結果、日本がPKOとして出ていく場合の「PKO参加5原則」がつくられました。これが、今まさに自衛隊南スーダンで直面している問題点にもなります。

 1つが、紛争当事者同士の停戦合意があること。つまり、停戦の合意がないところに自衛隊を派遣したら、戦争に巻き込まれるからです。2つ目は当事者が自衛隊の派遣を許可していることです。当事国の合意です。それから3つ目が、どちらか一方の立場についてはいけない。中立的な立場を維持するということです。4つ目は、上記3つの条件が満たされなくなったら、いつでも撤退できること。そして5つ目として、武器の使用は必要最小限であるということです。これが5原則です。その結果、戦争状態が起きるような危険な場所から離れたところで、道路をつくったり、橋を架けるといった社会基盤整備の支援をしたりしたのです。

2000年1月、カンボジアのPKO協力業務に従事中に殉職した故高田晴行警視の慰霊碑を参拝した小渕恵三首相
2000年1月、カンボジアのPKO協力業務に従事中に殉職した故高田晴行警視の慰霊碑を参拝した小渕恵三首相

 ただし、PKO自衛隊を派遣するだけではないのです。例えば、カンボジアで治安を維持するには、警察官を養成しなければいけません。するとカンボジアの警察官を養成するため、世界の他の国の警察官が警察官を育てるお手伝いをするのです。こういう人たちを「文民警察」と言います。

 海外では軍隊も警察を持っています。「ミリタリーポリス(MP)」です。軍隊ではない警察官を軍隊の警察と区別するために、国際社会では「文民警察」と呼ぶのです。日本も各地域の警察官をカンボジアに派遣しました。ところが、岡山県警高田晴行警部補(死後に警視に)がポル・ポト派の襲撃を受けて殺害されたのです。PKOで初の日本人の犠牲者が出たのです。

 さらに、国連にある「UNボランティア」という組織に参加していた日本人の若者の中田厚仁さんが、殺害されるという悲劇が起きました。その後、父親の中田さんは「わが子の遺志を継ぐ」と言って、国連ボランティアに志願しました。多くの人の感動を呼びました。私は頭が下がる思いでした。

 この後、こうした犠牲を払って、カンボジア全土では1993年(平成5年)に総選挙が行われ、国づくりがスタートしたのです。

■20世紀の悲劇

 そもそもカンボジアでは1970年代後半、内戦に勝ったポル・ポト政権が独自の思想「原始共産制」に基づく国家建設に取り組んでいました。ところが、後になってわかったことですが、20世紀の歴史に記録される大虐殺を行っていたのです。当時600万〜700万人のカンボジア国民のうち、いったい何人が犠牲になったのか。諸説ありますが、少なくとも100万人以上が犠牲になったことは間違いないとみられています。カンボジア政府は300万人説をとっています。

 ポル・ポト政権は、徹底した知識人狩りを行いました。自分の頭でものを考える知識人は邪魔な存在でした。肉体労働こそが尊いものとされ、学校も目の敵にされ、教師も殺害されました。眼鏡をかけている人はインテリだとして殺され、海外留学生も呼び戻して殺害しました。驚くべき蛮行が繰り広げられたのです。このため、現代になって平和になったとはいえ、教師も不足して、次代を担う若者たちの教育が不十分なままです。

日米同盟の強化に向けて、日本はどのような協力や支援をしていけばよいだろうか(2013年11月、日米共同演習のため沖縄県南東の海上に集結した艦船)
日米同盟の強化に向けて、日本はどのような協力や支援をしていけばよいだろうか(2013年11月、日米共同演習のため沖縄県南東の海上に集結した艦船)

 すでにポル・ポト元首相は亡くなりましたが、2006年(平成18年)には、当時の政権の犯罪を裁く「カンボジア特別法廷」が、国連の協力で設置されました。2012年(平成24年)までに5人が起訴され、1人の有罪が確定しましたが、それ以外の審理はなかなか進みません。関係者は次々に亡くなっていて、謎は解き明かされないままになる可能性があるのです。

 国連の国連憲章第7章には国連軍が規定されています。国連は第2次世界大戦後の国際平和維持のために設立されたものです。どこかで紛争などがあったら、国連加盟国がそれぞれ軍隊を出して国連軍をつくり、国連の旗の下に現地に派遣し、紛争を押さえ込む国連軍がイメージされていました。

 ところが、実際には東西冷戦で米国とソ連が激しく対立する状況で、国連軍が結成されない、できないという状況がずっと続いていました。例外として朝鮮戦争の時、国連軍という旗の下に米軍などが朝鮮半島に派遣されたことがあります。これはちょうど国連安全保障理事会で、ソ連安保理への参加をボイコットしていたためでした。

■国連軍と自衛隊

 そういう意味では、正式な国連軍はまだつくられていません。各地の色々な紛争を何とかしようじゃないかとなり、そのたびにPKOに代表される国連ミッションとしていくつかの国の軍隊が派遣され、戦争が再発しないように取り組むことになったという歴史的な経緯があるわけです。

 日本の未来にとって日米同盟が重要な基軸であることに間違いはないでしょう。日本に米軍基地が置かれ、米国の影響力下にあることによって、結果として平和を守るコストや犠牲を払うことなく、日本は戦後の経済成長をひた走ることができた面があることは否定できないのです。

 しかし、平和憲法を掲げる日本が実現すべき平和とは何か。国を守ることとは何なのか。憲法解釈を変えて集団的自衛権を容認する必要があるのか。日本人一人ひとりが考えなければならない課題は多いのではないでしょうか。