藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

初心にかえる術。

人間、学生時代はともかく社会人になって経験を積めばつむほど「どうのこうの」と言う。
いわゆる御託(ごたく)である。

【御託】
《「御託宣」の略》自分勝手なことを、もったいぶってくどくど言うこと。偉そうに言いたてること。また、その言葉。「―を並べる」

これは恐ろしい。
年とともに。
経験とともに。
自分の自信とともに。
どんどん"老けて"行くのを感じる。
そんな「世間の垢がついたな」と自分自身で感じれば、すぐに行動したほうがいい。

ちょっと自分を「言い訳のきかない場所」に追い込んでみるのである。

自分の場合。
例えば音楽を習いながら「ライブ」に出てみる。
あるいは発表会にエントリーする。

脂汗が出る。
なんだろう、もう自分のキャリアの長い人も短い人も。
サックスを手にして一年目の人も、ピアノの三十年選手も。
みな「自分なりにハードルを感じ」、そして自分の目標を持って純粋に佇んでいる。
そこにはあまり「気取り」もなく、「他人に見せるプライド」」もない。
自分がただ自分と向き合うだけの場面の話でしかない。
皆が「そういう感覚」でいる集団というのは、いわゆるビジネス社会には珍しい。

「今の自分に必要な技術や、感性や、知識は何か?」を純粋に考え、師に教えを受け、ただ日々を過ごす。
結果がどのような形で、いつ出るのか?はまったく約束もされていない。
止めるも続けるも自分次第。

そんなある意味真剣であり純粋な世界、にどうしても自分たちは惹かれるところがある。
自分の客観的な姿を知ることは残酷であり、けれど究極的に必要なことでもある。
「まったく過去の柵(しがらみ)のないフィールドに身を置くこと」は、生きてきた自分をリセットし、俯瞰する上でも重要な「戦略テーマ」でもあると思う。
自分の硬直化を防ぐためにも「一個人」になりきる方法は身に付けるべきではないだろうか。