藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

世代感覚

*[次の世代に]若さへの羨み、哀しみ。
最近、10代や20代の大学生と進路や将来などについて話すたびに、彼らの「純粋な若さの眩しさ」を感じそして「これから経験するだろう道のり」について否応なく直感してしまう。
若さへの羨みは、もう髪の色や肌のハリや、何よりも目が澄んでいることとか。
で、話せば良くも悪くも一直線だ。
 
そしてそんな無垢で純粋な彼らを見て、まだ彼らが予想もしない「これから経験するだろう驚きとか、失敗や、苦労の数々を思うと、まるでこれから出征する兵士のようにすら見えてしまう。(うるうる)
(ま、これから世間の「荒波への航海」に出てゆくのだから、どのみち「そういうこと」なのだろうけれど)
これからどれほどの苦労を味わうのだろうと思うと、純粋にその「哀しみ」が感じられて、前頭葉の奥の方がキュンとしてしまうのだった。(どこや)

それが良くも悪くも「若さそのもの」と言うことなのだ。

 

それにしても自分が40代のときには、若者とはむしろ「先輩と後輩」の感覚だったのが、今は「戦時中の親子感覚」に変わってしまった。

 

なに、自分がどんどん歳をとっている、というだけの話でしたか。