藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

教訓を見つける

*[次の世代に]一年経って。

いよいよ三月になり「コロナで切り取られた空白の一年間」が過ぎた。

この一年の反省と驚きは、これだけの近代社会の中で、自分たちは「未経験なこと」と「既知の知識のないこと」については、かくも脆い存在だということだったと思う。

ある意味"現代人の奢り"みたいなものが露呈したのではないだろうか。

 

まるでSF映画のような悪夢の世界が、現実になってみたら「いかに思考力や行動力が備わっていないのか」ということを自分は痛感した。

これは2011年の震災が起きた時と同じだが、

自分たちは「予想外の事態のシミュレーション」を常にしておかないと、"ますます安定する現在"から例外対応ができないのだと思う。

 いわゆる避難訓練を「色んな分野」でしておかないと、例えば「サイバー空間で大規模災害が突然起こったら」自分たちの経済や生活は大混乱に陥るだろう。

 

世の中はどんどん安定し、平和になり、だから「ぬるま湯」に浸かった日常になるのは仕方がないけれど、どこかで「自給自足の精神」を残しておかないと「まったく役に立たない自分」になっていることに気がついた一年だった。

 

このような災厄が定期的に世の中に起きるのは、まさに「自然の采配」としか思えないが、そんな"波"がくるのを想定して生活を考えるのは、また一段「生活の知恵」が向上するのではないだろうか。

 

平時と緊急時の使い分けがこれからのテーマのような気がする。