藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

土俵を決める。

「才能のあるかないか」が問われる場所ではそれが問われる。
「さらに才能があるかないか」が問われる場所ではもう才能があるかないか、は問われない。
いわゆるプロの世界である。
才能のない人、つまり一般人はそこには存在しない。
すべての参加者は才能(のある)者しかいないので、それは高度であるし厳しい。

ところが仕事の世界では、すべての人がプロとは限らない。
アルバイトの人もいるし、パートの人もいるし学生さんだっている。
さらに、一応その職業で飯を食ってはいるけれど「プロフェッショナルな仕事をしている人」という意味では結構少ないと思う。
自分を振り返っても結構ドキドキする話だが、プロと言えるかどうかを問うてみることは必要だ。
これまでの自分を振り返り、プロの仕事もあったような気もするが、そうじゃない仕事も確実にあった。しかもかなりあった。ひょっとして「そっち」の仕事の方が多かったのじゃないか?と思うと冷や汗をかく。

また普通のオフィスワークをしていると「そういうこと」はあまり日常的に問われなかったりもする。
常に観客がいて、試合中の挙動が衆目にさらされているとか、そもそもどこからどこまでが試合だろうか、いやそういう試合は朝起きてから始まっているとか、もう24時間すべてがそういう意味では試合なのかもしれないとか思うと収拾がつかない感じがしてくる。

客先訪問とか、会議とか、せめて何かのイベントを基に試合のようなものをイメージして生活をしてみたらどうだろう。
デートとか趣味とかも試合。
新規のお店訪問も試合。
(そういえば勝負服とか勝負下着って表現はよく使われている。あの感覚だ。)

結局なんでも真剣にやんなさい、ということだが何でも試合設定してみると自分の日常も少しビリっとするのじゃないかと思ったのである。