藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

精神の年齢。


ジャネーの法則は、時間の経過の感覚が「これまで生きてきた時間の長さ」と相対的に短くなってくる、というものだがこれって時間だけに限らない。
情報とか知識についても同じである。
小学生の時に習う算数とか理科とか国語とかは、それまでの自分にとっては全く新しく、頭の中でも相当なシェアを占める知識だったはずである。
漢字も四則演算も、英単語も最初は微々たるものが自分の知っている全てだった。

生きていくうちに、そうした知識だけでなく経験的に学ぶこととか、社会の中の常識とか経済とか科学とか、あらゆることを身に着けてゆく。
色んな細かいそうした経験とか知識が、例えばこれまでに10万項目くらいあれば、次の新しいアイテムは「10万と一つ」の対比になる。
この新しい一つが、実はすごく新しい考え方である可能性もあるのだが、昔のように10個の次の11個目、ではない。
相対的に、自分たちは「新しいものに対して鈍くなってゆく」のだ。

思考のジャネの法則というか。

いつまでも若いなぁ、というお年寄りには子供のような好奇心があるものだけれど、これは今目の前にある新しい一つを「星粒の中の一つ」ではなく、新発見された惑星とか隕石のように興味を持って接する気持ちがあるからだという気がする。

何か自分なりの理屈や基準で、新しいものに常に正対する姿勢があるかどうかで「精神的な年齢の老化」が計れるような気がする。

若くして爺むさいのではなく、いつまでも気持ちの若いジジイになりたいものだと思う。