藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分にとっては価値あるもの。


ちょっと前にエントリーした人生のバランスシートのことを最近よく考える。
そんな年になったということだと思うが、十代二十代とは違い「ようやく棚卸するべき」な「過去」が一しきり溜まってきたということではないだろうか。
ちょっとここらで過去の整理をしてみたくなる年頃なのだ。
以前書いた「自分のバランスシート」では、

「資産の部」にはお金のような財産と、人間関係とか経験とかが現れてくる。
というようなことを言っていた。

お金や目に見えるものだけではない、ということが言いたかったのだけれど、さらに資産の部には「権利」とか「自由」とかも入ってくるだろう。
健康もやはり資産じゃなかろうか。

では逆の負債は。
「病気」とか。
権利に対しては「義務」か。
よく「自由の代償」などというけれど、自由にはやっぱり「不自由」が付いて回るものである。

ここ二十年ほどはROEという資産の効率経営、がお手本になっているがこの"人間バランスシート"も同じ。
あまり資産ばかりが膨れ上がって、ほとんど「寝て」しまっていては経営効率は「良い」とは言われないのが現代の理屈だ。
ぞくに「ノンアセット」というが、出来るだけ自分のバランスシートには「固定的な資産」は載せないようにして、いかに「無駄なく資産を活用しているか」が経営の通信簿になっている。

会社の帳簿とは違い、人には実にいろんな形の資産(と負債)がある。
負債が増えて債務超過にならないことも大事だが、折角ある資産が遊んでしまっているのももったいない。
自分の資産を棚卸してみることと、そして使い切れていない資産はこれからどうして活用するのか、あるい手放すのかということについても考えてみるのはどうだろうか。