藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

大義ありき。


江戸時代以前を舞台にした忍者物語によくある特徴。
忍群、というくらいで忍者はチームで動く。
武士は「武群」とかは言わない。
主人公は一人だったりするけれど、必ず味方と敵が複数いるものだ。
大体小説や漫画では、登場する忍者たちはどれも専門性が高く、スペシャリティーが際立っている。
それぞれが単体で戦っても一流なのである。
基礎的な忍びとしての訓練はもちろん、必殺技ともいえる特技を持っていることが多い。


そして忍者の一団は「ある目的」を持って動くことが多い。
会ったことはないけれど服部半蔵とか。
優れたリーダーがいれば、そこに仕える忍群はそれこそ奔放に自らの力を発揮し、そして目的へと突き進む。
忍群の強いところはこの「結束」というメンタリティだろう。

自分が斃れようとも、また自分のために仲間が犠牲になろうとも最短で目的に近づく。

個々の優れた才能を一つの方向に導くことこそがリーダーシップであり、また目標が大きく大義のあるものでないと鉄の結束は生まれない。
かと言ってそれは「烏合の衆」ではない。
一人ひとりが優れていて、また自己研鑽も怠りがないのである。

そんなことを組織の中にいてよく思う。
盲信はよろしくないが、「個の力と向かう方向性が一致すること」が組織の要諦ではないだろうか。
仲間内の摩擦とか、集団同士の軋轢とかは色々あるだろうけれど、色んなロスとか調整とかを経験しつつ「大目的」を掲げて団結できると無類に強くなる。
個別の戦術、戦略よりもやっぱり「目指すもの」がしっかりしていないとゴールに行きつくのは難しいのに違いない。

会社を興すとか、組織を立ち上げるとか、そういうベンチャーなアクションはとても重要な試みだと思うが、同時にその向かう本質についてもよく吟味しておくことが必要なのだと思う。
リーダーシップというのはそういうバランス感覚なのではないだろうか。