藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

未完成という自信。


ほぼ日、山田ズーニーさんの記事より。
もとのエントリーはこちらだが、端折ってこの部分だけ。

自信には2つある。
1つは鍛え上げて成長して強くなって、
自分は「一人前だ!」という自信。

もう1つは、自分はまだまだで、
だから下手くそで失敗もするし、
当然叩かれたり傷ついたりもするだろうけど、
それでも辞めないでつぶれないで続けていくという、
いわば、

「未完成という自信」。

一人前だ!と言う自信はいい年になってもなかなか出てこない。
性格の問題もあると思うけれど「もう一人前だ」とどの段階で言えるかというとかなり怪しい。
「本当に一人前化かい?」と問われると途端に自信を失う。

「一人前です!」というよりも「半人前かもねぇ…」というほうがしっくりくる。
というか多分ほとんどがそうだ。(嘆)

未完成と言う自信、というのは多分「それでも少しづつ成長できる」ということが根拠になっているだろう。
いわば「これからの伸びしろ」への期待じゃないかと思う。
ズーニーさんは、自分は一人前だという自信は、実は案外脆いものだと仰っているが、それはそれが「一人前からの引き算」だからだと思う。
今から"減っていくばかり"だから。

それに比し、未完成と言う自信は、今が相当なダメっぷりでもこれからの"足し算"が基礎の理屈になっている。
いくら今が低くくても、これから少しづつ積み上がっていくのなら相当なことにも耐えてゆける。
人ってそんなものなのだろう。

これからも未完成という自信、を持って生活しよう。
これってポジティヴ思考ってことととても似ているなあ。

Lesson727
    2とおりの自信−2.読者の声

自信には2つある。
1つは鍛え上げて成長して強くなって、
自分は「一人前だ!」という自信。

もう1つは、自分はまだまだで、
だから下手くそで失敗もするし、
当然叩かれたり傷ついたりもするだろうけど、
それでも辞めないでつぶれないで続けていくという、
いわば、

「未完成という自信」。

先週、未完成という自信について書いたところ、
読者からたくさん反響をいただいた。