藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

変わらずにいること。


糸井さんのブログより。
無事是名馬」というのは造語だという。

あらゆる「名馬」と言われる人物を見てきて、
 これは「無事」の積み重ねだなぁと気づくからなんです。

日常変わらずにいられること。
それを何十年も続けられること。

外部の環境が激変したりする会社の仕事とか。
友人関係とか。
恋人とか。
夫婦とか家族とか親子とか。
飲み友達とかご近所さんとか。

そんな周囲の荒波の中でも、錨を降ろした小舟のごとく。
「日々無事でいること」はすごいことなのだ、と(糸井さんほどではないが)年と共に感じるのには実感がある。

常に定点にいて、変わらずに淡々と日常を送るのは実は簡単ではない。
小学校に通っている頃だってそんなに簡単な感じではなかったけれど、あらゆることが遠慮なく起きる社会人の世界では、変わらずにいることは「相当自分をしっかりと」していないと難しいことなのに違いない。

いいことも悪いこともある。
嬉しいことも悲しいことも。
そんな中でも飄々と、自分を見失わずに、淡々と過ごす。
何か武道の達人とか、熟達した農業家を見るような思いがする。

何事もなく、ただ水面に浮いている木の葉のように、"柔らかでいること"というのは一つの達人の域なのだと思う。
そんな風になれるといいけど。

・もともと「無事是名馬」ということばは、
 なかったんだそうですね。
 「無事是貴人」をもじって菊池寛がつくったんだって。
 あたしなんか、「無事是貴人」のほうは知らなくて、
 「無事是名馬」だけ知ってましたから、
 いまごろになってありゃまと思った次第です。
 
 ただ、どうなんでしょう、造語っていうけど、
 もともと「無事是貴人」にしたって、
 まぁその「朝令暮改」にしたって、
 誰かが言い出したわけですからね。
 時間が過ぎていって定着したら
 「そういうことばはある」と言われますし、
 うまく定着するまでの間は、
 「そんなことばはない、それは造語だ」と言われる。
 なんでもそうなんでしょうけども、
 長く残るってのはね、それだけでたいしたもんですね。
 
 そうそう「無事是名馬」という、ね、ことばですが、
 これがまぁ、ほんとにうまいことを言ってるなぁ、と。
 「無事」であるだけ、なんてのは、
 どうしたってちょいと馬鹿にされるわけですよね。
 だけど、長い間、ずっと「無事」でいるってことはね、
 ずっと、その「無事」な馬がね、
 人に見られてるってことなんですね。
 「あいつ、しょうがないね、怪我がないだけでね」
 なんてことを言われて、員数合わせで走らされてる。
 だけど、あれですよ、それなりに走れるから、
 何度でもね「しょうがないね」と出してもらえるわけで、
 それなりに出場機会があるということは、
 それなりに走れてきたってことなんですよね。
 華々しい活躍はしてなくても、
 必要なときに必要なことをしてくれるって、
 しかも、それが積み重なるってこと、素晴しいですよ。
 いつのころからか、つくづく思うようになりました。
 じぶんに華々しい活躍をするような才能がないと、
 いまごろになって気がついたからか?
 いや、負惜しみじゃなくて、そうじゃないんですね。
 あらゆる「名馬」と言われる人物を見てきて、
 これは「無事」の積み重ねだなぁと気づくからなんです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「無事」もいいけど、それに「丈夫」がついたら最高だね。