藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

限りある時間に。

段々と年を取るにつれて「時間に対する感覚」は鋭くなってくる。
五十歳を超えた人たちは一様に「残りの時間を強く意識するようになった」という。
逆にそんなこと屁でもない、というのが若さの特権だろうか。
で時間にい対する感覚が鋭くなると時間に"セコく"なる。

時間を無駄に使うことも嫌うけれど、それよりも「効率」をより意識するのではないかと思う。
例えば「勉強をする」ということについても、より深く濃く向き合うような気がするのだ。
特に社会人になれば「誰かから強制されて勉強する」という機会は減り、自発的な動機が多いということも関係があるだろう。

受験勉強を教わる予備校ではよく「最短の努力で最大の効果を」と言われたけれどその感覚に近い。
勉強するにしても遊ぶにしても、酒を飲むにしてもボーっとするにしても何でも「効率的にしたいなぁ」と思うのである。
"年寄りは気が短い"というのはこういうことが原因なのではないだろうか。

例えば仕事をしている時でも「どのような段取りにしたら早く済むか」とか「どうしたら最も効果が出るか」というようなことばかりに関心が向くのである。
そういう意味では「とりあえずがむしゃらにやってみてから考える」というスタイルではなくなっている。
まあ「気が焦っている」とも言えるだろう。
自分の場合、物事の核心に「一気に迫る」ような気持ちでいることが多くなったような気がする。
(つづく)