藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

関係するのはパワーがいる。

およそ世間でみんながしている仕事って「実はしたくない仕事」なのだろうか?
と思うくらい自分の仕事って上手くいかない気がする。
これって間違いなく自分自身に原因があることは分かっているのだけれど、それにしても不思議だ。

逆に「放っておいて上手くいっていること」があるとすれば、それは実は別の誰かが「自分でドライブ」しているからだった。
つまり「放っておいて」は何事もダメなのだ。
恋愛関係とかがそうじゃないか。

お互いが何かの引力を持って「ある関係」を築くにはお互いが無力ではいられない。

国同士の外交だって、友人や家族だって同じだ。
つまり「関係を持つ」ということは同時に「面倒くさい」ということになる。

巷の流行語の「面倒くさっ」というのが「本当に忌まわしいこと」ではなく使われているのは、こうした「関係を維持していくためのしがらみ」を少しおどけて表現しているのに違いない。
誰もが感じる面倒くささを、あえて口に出して表現することで「他人と確かめ合う」という行為が受けているのだと思う。
そういう意味の自己承認行為なのだ。

と思えば「面倒くさっ!」を連発している自分たちもちょっと可愛く見えてくる。
「そうだね。介護って面倒くさいよね。」と言ってあげることで少し心の負担が軽くなることもあるだろう。
何でもかんでも「私は大変なんです」というのはうるさいが、互いの「自己承認行為」は少しは協調関係も必要ではないだろうか。