藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

心のカーテン。

関取花さんのブログより。
透明なフォークソングのような歌声とともに、綴るブログはとても面白い。

言い訳と落とし所ばかり考えてしまう
嫌われたなら仕方ない。また好きになってもらおう。

そんなテキストに共感しながらも、歌声は響く。

全ては「文字の力」ということだろうか。
何かを創作し、発信したいアーティストの表現というのは、現代では幾つも幾つもの現れ方があるのに違いない。
ラジオでもテレビでもyoutubeでもinstagramでも、そんな作品を見ることができるのは貴重な機会だと思う。

20cm

2015/09/20 12:12
9月頭から始まったニューアルバムのリリースツアーも、昨日の広島公演を終えて、残すところあと3公演となった。早いものである。

今回のツアーはかなりバタバタとしたスケジュールで動いていたため、あまりゆっくり各地を堪能することはできなかった。しかし、それでもしっかりと珍事には恵まれ、非常に充実したツアーとなった。大阪ではトイレで延々とへそを洗い続けるおばあさんに遭遇し、金沢への移動列車ではトイレの鍵を閉め忘れて素敵なお兄さんに見事にドアを開けられ、岡山では大切にしていた腕時計を狭いホテルの部屋の中で見事に紛失した。それでも今考えればそんなことは気にならないくらい、各地で沢山のお客さんに囲まれ、とても楽しいライブをすることができた。来ていただいた皆さん、本当にありがとうございました。

というわけで、今は広島から東京に戻る新幹線の中でこのブログを書いている次第である。いつもは屍のように爆睡する私だが、なんだか今日は色々と思うこともあり、珍しく窓の外をぼんやり眺めたりしている。

今どこらへんかはわからないが、山々と田んぼに囲まれたのどかな風景が窓の外には広がっている。この上ないくらいの快晴で、新幹線内にいても、暑い日差しが差し込んでくる。本当にのどかだ。一生この景色が続けば良いと今は思う。

マンションやビルなど、空を遮る建物はここにはない。空は青く高く、そして大きく広がっている。窓のブラインドを全開にすれば、さぞかし美しかろう。

しかし今、私はブラインドを半分降ろした状態でいる。たかが20cm程度、しかしその20cmをどうして開けないのだろうか、ぼんやり考える。

無論そんなことは無意識であるし、特段意味なんてない。ただ眩しいから、暑いから、それだけである。
でもひょっとして、それってものすごく損をしているんじゃないかとふと考えたのである。

思えば私は、窓のブラインドに関わらず、事誰かと接する時に関してもそうである。あと少し開ければいいところを、開けられないままなのである。めちゃめちゃダサい言い方をするならば、心のカーテンってやつをだ!!(ダセェ

その根底にあるのはトラウマでもコンプレックスでもなく、たった少しのめんどくささと、申し訳なさである。私はいつだって人の様子をチラチラ気にしてしまっている。嫌われるくらいなら無関心でいてもらったほうが良いと、思っているのかもしれない。だから、誰に対しても変わらずにいられる人がとても羨ましい。それが多少横柄であっても、それはそれでかっこいいと思うのだ。なぜ自分にはそれができないのか、なぜ開けられないのか、正直よくわからない。腹の底で他の事を考えているのではなく、ただただ、嫌われたくないと、抜き足差し足、石橋を叩いて渡る。

ありがたい事に、最近は本当に毎日のように好きな人に出会う。かっこいい人と出会う。自分の非力さに気付かされる。その度にどう話して良いかわからなくなる。ちゃんと伝えられるのか、自分にその言語は足りているか、考える。考えているうちに、言い訳と落とし所ばかり考えてしまう。情けない。

そんな私だが、ライブの時だけは本当に何も考えずにいられる。一人でステージに立って、歌って、話す。何を話すか決めてステージに立ったことはない。いつだって行き当たりばったりだ。言い訳ができない場所だから、ライブが好きだ。(でも上手くいかなったら本当に生き地獄だ)

ここ一年、ライブでたくさん話すようになった。元々は声の調子が良くなかった時にはじめたことだったのだが、そうしてから、お客さんが増えた。ライブ中の曲への気持ちの入れ方もわかるようになってきた。自分の間というのが、少しずつわかってきたのだ。

毎日楽しい。奇跡的に楽しい。生まれて初めて行く場所なのに、自分の歌を聴きに来てくれる人がいるというのは、本当に奇跡みたいなもんだと思う。どこで知ってくれたんだろう、どこから来たんだろう。少なくともその時間が、その人にとって無駄な時間ではなかったことを祈るばかりだ。嫌われたなら仕方ない。また好きになってもらおう。

まだまだ規模感の小さい私がこんなことを言うのは、悦に浸っているようだしキザだしダサくて嫌いだ。でもそう思うのだ。有難いのだ、本当に。自分がそういられる場所というのは、本当に貴重なのだ。

ステージの上以外でも、そうなれると良い。いつだってあと20cmブラインドを開けられるようになれば、何かが変わるのかもしれない。

そうこうしているうちに、二時間が経っていた。窓の外には、マンションが見える。街はどんどん都会になっていく。東京なんて、きっとあっという間に着いてしまうんだろう。

ブラインドを全開にしてみる。緑はもうなかったけれど、思ったより空は高かった。