藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

労働観。

「労使」という言葉に象徴されて。
「働く側」と「雇う側」という概念はここ数世紀対立概念になっている。(と思う)
確かにそういう観点もあると思う。
けれど、まったく違う見方もある。

結論から言う。

"エスケープカード"があればいい。
「ダメだ」と本当に思ったら逃げてこい。
それでも社会から「離脱」とみなされないような保障ができていれば。

国は制度設計に解を求めようとしているようだが、民間人の自分としては「お門違い」に思えてならない。

農林水産業、製造業、サーピス業、その他あらゆる業態に則した「働き方のマニュアル」なんて作れない。

農業の中にだって幾つも違う職種があるから。
人間の営みはそんなに簡単に画一化できないだろう。

むしろ「制度ありき」でその制度さえ守っていれば合法だ、というのが36協定に表出しているのではないだろうか。

結局は自発で働き、自分の考えるリミットまで頑張り、そうして「これは頑張りきれないかもしれない」と自分が感じた時点で"エスケープカード"が出せればいい、と思う。

あまり「ノー残業デー」とか「業種別賃金」とかいう行政のルールが業界全体を良くしていく、という例を自分は寡聞にして知らない。
働き方については、経営者が進んで「自業」について発信してゆくべき問題だと思う。

電通事件の衝撃(4)「労基法は悪くない」

 首相が社名と個人名をあげ、一企業の問題に踏み込むのは珍しい。10月19日、首相官邸で開いた働き方改革に取り組む人たちとの意見交換会。首相の安倍晋三(62)は参加者に語りかけた。「先般、電通の高橋さんが長時間労働によって過酷な状況の中で自ら命を絶つという大変悲しい出来事が起こった。このようなことは二度と起こしてはならない。やはり働き方改革を進めていかなければならない」

首相は過労死の防止を力説した(10月、働き方改革意見交換会

 電通の新入社員、高橋まつりさん(当時24)の過労自殺はなぜ防げなかったか。そして自殺に追い込まれる若者をどう救うか。政治家の目はそこに向く。

 「心もとないね。今のままでいいの」。11月21日、東京・永田町で開いた過労死防止を考える議員連盟の会合。会長を務める前文部科学相馳浩(55)が厚生労働省労働基準局長の山越敬一(57)に労働時間規制への国の関与をただした。山越が「労使の取り組みを支援する」と話すにとどめると、馳は同僚議員が「きょうはこの程度で」と収めるまで指摘を続けた。

 厚労省幹部からは「労働時間には厳しい上限規制が必要」との強硬論も出るが、政府内には問題企業は現行法の枠内で取り締まるべきだとの慎重論もある。「悪いのは電通。今の労働基準法が悪いのではない」(内閣官房幹部)。捜査の行方を見極めたいとの思惑もにじむ。

 官の態度は働き方改革実現会議の運びにも響く。政府自身が目玉とした労働時間を巡る議論は年明けに持ち越し。労働時間の上限規制、労使で決めれば残業時間を延ばせる「36(サブロク)協定」見直しなどは事の是非を問う間もなかった。反対の出にくい非正規雇用の処遇改善を優先したように映る。

 政官の押し引きだけが続き、労働時間を巡る改革論議は膠着。働く時間を短くして済む問題ではない。経済団体からは「(時間でなく成果で賃金を払う)脱時間給などを盛る労基法改正案の審議入りも難しいだろう」との悲観的な見方も出る。

 日本商工会議所会頭の三村明夫(76)は1日の記者会見でこう説いた。「色々な動機を持って働きたい人に色々な働くタイプを提供し、生産性も上げる。企業、労働者に好ましい制度設計が働き方改革に求められる」。個の力を生かしたうえで企業の活力につなげる。善は急げ。だが、その“善”がなかなかみえてこない。

(敬称略)

 辻征弥、高城裕太、伴正春、小川和広、中村亮、三木理恵子、大淵将一が担当しました。