藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

正直な人と話そう。


日経、ジェーン・スーさんのコラムより。
自分たちは他人と話すときに「合理性」を重視しているのだろうか。
それとも「好きか嫌いか」を主に話しているだろうか。

恋愛についても、
家族についても、
仕事についても、
買い物についても、
投資についても、
健康についても、
病気についても。

つい自分たちは「そうありたいこと」を中心に話をしてしまう。
ただし「実はこういうことらしいぞ」という"伝聞"も持ち合わせてもいる。

結局。
自分の今思う「ベストについて」を他人に話すしかない。
自分はそんな風に行動している。

いろいろな関係者のことを考えると、結局無限に調整することなどできない。
翻って、「自分が思うことをそのままに話そう」という年寄りが多いのは、それなりに理由のあることなのだ。
だから年寄りにいろいろ聞いてみるというのは悪くない選択肢だと思う。

一歩踏み出せば、色んなことが得られるものだ。

それぞれのこだわり ジェーン・スー
 友人が車を新調するので、東京郊外の中古車店巡りに付いて行くことにした。私は運転免許を持っておらず、セダンとクーペの違いもわからない。それでも、移動中のおしゃべりの相手くらいにはなるだろう。

 一軒目の店はとにかく広く、数百台の車が展示されていた。ぶらぶらと展示場内を歩き回っていたら、ひょろりと背の高い中年の男性店員が声を掛けてきた。友人が店員に希望を伝える。ではこちらへ、と促された先には、SUVと書かれた看板が立っていた。

 SUVの一台一台を指さし、友人は店員に質問を重ねた。しかし、どうも歯切れが悪い。同じ車の新型と旧型の違いなど、基礎的と思われることでも的を射ない答えばかりが返ってくる。その割に、世間話には花を咲かせようと躍起になり、ついに前職での身の上話を始めたので、さっさと退散することにした。

 しかし敵もさるもので、そこからの引き留めが長かった。来店プレゼントがあるからと事務所で書類を記入させられ、それを持って奥へ引っ込んだかと思えば、今度はなかなか帰ってこない。戻ってくると支払い方法のアドバイスが始まり、まだ買う車が決まっていないと伝えると、慌てて在庫とやらをプリントアウトしてきた。しかしどれも友人の希望に見合うものではなかった。来店プレゼントはティッシュ一箱だった。

 どっと疲れて二軒目に向かう。次は高級外車の中古ばかり扱う店で、半分は冷やかしだ。駐車スペースに車を停(と)めるやいなや、店内から若い男性店員が飛び出してきた。幸先が良い。買い替え予定の時期、予算、普段の乗り方などを友人が伝えると希望に沿うのはドイツ社の某ランクの車だが、この店では取り扱いがないと言われてしまった。どうやらここでは、もっと高級な車ばかりを扱っているらしい。

 早々に出端(ではな)を挫かれたが、店員はその後も友人の質問に丁寧に答え、いくつかの展示車に座ることもできた。予算に合わないので失礼しようとしたら、店員は満を持してという表情で「お客さまには、国産の某社の某シリーズがお勧めです」と言った。ここは中古外車専門店だが、それまでの対応が非常に好印象だったので、私たちは引き込まれるように彼の話を聞いた。

 国産某社の車は安全性能面で世界的に評価されていること、燃費の良さ、リセールバリューが高いこと。立板に水のごとく、彼の口から言葉が溢(あふ)れてくる。礼儀正しい接客態度ながらもボルテージはグングン上がっていき、ついには外車より国産車の方が良いと聞こえるような話までしだした。あまりの熱量に圧倒されたが、よく聞けば店員はその国産車を所有しているとのことで、単に某社の熱烈なファンだったようだ。

 三軒目では、友人が興味を持った車を所有する女性店員が、その素晴らしさを語るうち自社が扱う別ブランド車をほんのり腐すようなことを言い出した。四軒目では車を「この子」と擬人化する店員に出会った。

 それぞれに好きな車があり、誰もがバラバラのことを言った。ふと漏れ出すセールスマンとして相応(ふさわ)しくない言葉も、こだわりがある故と悪い印象にはならなかった。いま思えば、一軒目の店員はそんなに車が好きではないのかもしれない。友人はまだ買う車を決められていない。

(コラムニスト)