藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

対策はいくつもある。

日経スタイルより。
「都会の遊休地を借りて改造し、ワイナリーを建てる人」がいるらしい。
話を聞いてハッとした。

高齢者社会の到来。
年金の不足。
AIの台頭で失業。
先進国の衰退。
少子化

全部本当だろう。
けれど。
けれど。

そんな中でも「やれること」はいっぱいあるのじゃないか?
と藤丸さんの話を聞いて衝撃を受けたのだ。

「街中にワイン醸造所」を作ることができるなら。
まだまだ都心や街中のオフィスとか。
下町の民家を使って、いろいろ「必要なこと」を探る試みはこれからではないのか。

なまじ大通り沿いに大規模モールを建てて…と大味な発想をするから個性がなくなるのだ。

ワインしかり。
世界の料理しかり。
世界中の自慢の店と料理を、定期的に日本に紹介する市場はどうだろう。

何十箇所あっても賑わうに違いない。
これからの日本は「空き家大国」にいち早く突入するそうだけれど、その弱点を工夫して克服してこその島国だろうと思う。
発想のキーワードは「街の中のワイナリー」だ。

異色の「ワイン起業家」 逆転の発想で大都会に醸造所|出世ナビ|NIKKEI STYLE

 セカンドキャリアはワイナリー(醸造所)のオーナーに。ワインブームに乗り、田舎でワイン造りを夢見る中高年が増えている。だが、多額の建設費がネックとなり、道半ばで諦める人も多い。そうした中、わずかな資金で大都会の真ん中に相次いでワイナリーを建て、注目を浴びる異色の経営者がいる。

■心斎橋から徒歩10分

 藤丸智史氏(40)。ワインショップやレストランを運営するパピーユ(大阪市)の社長だが、フジマル醸造所のオーナーと言った方が、ワイン業界では通りがいい。2013年、大阪を代表する繁華街、心斎橋から徒歩10分ほどの運河沿いに「島之内フジマル醸造所」を開いた。2年後、東京の下町、江東区隅田川近くに「清澄白河フジマル醸造所」をオープン。いずれの醸造所も建物の2階がレストランになっており、ワイナリー「直送」のワインを楽しむ食事客でにぎわっている。

 ワイナリーと言うと、一般には田舎のブドウ畑の一角に立つイメージ。なぜ、大都会の真ん中に建てたのか。藤丸氏に問いただすと、「ブドウ畑とワイナリーが隣接しなければならない理由はない」と明快な答えが返ってきた。

 実は、日本の田舎は今、ワイナリー設立ラッシュ。国内には現在、260前後のワイナリーがあるが、その4割が00年以降の設立だ。国産ブドウから造る「日本ワイン」ブームに乗り、設立ペースはここ数年、加速している感すらある。主役は、ワインが大好きで自分のワイナリーを持ちたいという個人。脱サラ組も多い。

 夢追い人の前に立ちはだかるのが、資金の壁だ。ワイン造りには、ブドウを圧搾するプレス機、発酵タンク、保存用の樽(たる)、コルクの打栓機など様々な機械が要る。それらを収納する頑丈な建屋も、もちろん必要だ。

 これらをそろえるには、億単位のお金がかかる。個人には相当な負担だ。ワイナリーの誘致に力を入れる長野県の関連サイトには、「ワイナリーを設立するには、建屋や醸造機器などに数千万円〜億単位の費用が必要です。自己資金だけでは難しいので、どこかから調達しなければいけません」とある。エッセイストの玉村豊男氏が03年に長野県東御市にワイナリーを建てた際には、1億6000万円の借金をしたと、筆者に語ったことがある。

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心斎橋から徒歩10分ほどの運河沿いにある「島之内フジマル醸造所」

 これに対し、藤丸氏が島之内フジマル醸造所を建てるのに要したお金は、ワイナリー部分が700万円、レストラン部分が700万円、合わせても1500万円にも達しない。「ワイナリーの部分だけを比べても、建設費は同規模の施設の4分の1ぐらい」と藤丸氏は語る。

■海外で注目の経営形態

 藤丸氏も最初は、ブドウ畑のある大阪府東部、生駒山地の斜面にワイナリーを建てようと考えた。しかし、資金不足は明白。そこで思いついたのが、アーバンワイナリー(都市型ワイナリー)だった。アーバンワイナリーは、ニューヨークなど米国の大都市で次々と生まれている注目のワイナリー経営形態だ。

 大阪市内には頑丈な造りの古い倉庫や町工場が残っている。それを借りてワイナリーにすれば建設コストは大幅に削減できる。物件を探したらすぐに見つかった。船で運んできた砂利を保管する倉庫として使われていた古い建物だった。

 ブドウ畑から建物までは車で約40分。ブドウの輸送には何の問題もない。街中のワイナリーなら、スタッフは容易に集まるし、併設するレストランも利用しやすい。考えてみたら、アーバンワイナリーはメリットこそあれ、デメリットは一つもなかった。

 初期投資をさらに抑えるため、機器の調達にも知恵を絞った。ワイン造りには通常、欧州製の高額な機器を使う。だが、「イタリア人に作れるなら日本人にも作れるはず」と考えた藤丸氏は、大阪の町工場を回って交渉。すると、立派なプレス機が輸入品の3分の1の値段で調達できた。立ち上げ時の機器はほとんど国産でまかなった。

 ブドウの品種にもこだわった。藤丸氏が主に使っているのは、もともと生食用のデラウェア。ワインではマイナーな品種だが、古くからブドウ栽培の盛んな大阪にはデラウェアの栽培農家が非常に多く、手に入りやすい。かつ、大阪でも農家の高齢化が進み、耕作放棄地の問題が深刻化。フジマル醸造所のワインは、こうした放棄寸前のブドウ畑を借り受け、そこで収穫したブドウから造られたものも多い。

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フジマルのワイン

 「デラウェアのワインが不人気なのは、そもそもワイン用に栽培していないブドウから造られたワインが多いから。芽かきをするなどして収量を大幅に減らし、実の糖度を高めれば、アルコール度数も上がって濃縮感のあるおいしいワインになる」と、シニアソムリエの資格も持つ藤丸氏は語る。

 藤丸氏は大阪だけでなく、山形や長野、山梨などの契約農家からもブドウを購入しているが、大阪のブドウの生産量が増えたため、他県のブドウを大阪の醸造所だけでは処理しきれなくなった。そこで、東日本のブドウ産地から比較的近い場所に新たにワイナリーをつくる必要を感じ、清澄白河フジマル醸造所を建てた。鉄工所だった建物を借りてワイナリーにつくり変えたのは、島之内と同じ手法だ。

■誕生、ワイン・ベンチャー

 そもそも藤丸氏は、高校3年の時、阪神大震災で自宅が半壊。小遣い稼ぎのために大学在学中に始めたホテルのアルバイトがきっかけでワインにはまり、ワイナリーで働くことを夢見るようになった。

 道は平たんではなかった。ワインの勉強をするため、20代後半で会社を辞めてオーストラリアに渡った時は、何のつてもなく、飛び込みで雇ってもらったレストランで皿洗いから始めた。帰国後、ワイナリーの開設資金を作る目的でワインショップを開いた時は、開業資金を友人から借りた。ワイナリーを開こうにも、醸造免許がなかなか下りなかった。栽培・醸造のやり方は、ショップ経営の合間にニュージーランド大阪府内のワイナリーで働きながら学んだ。

 いつも、夢だけは手放さなかった。「迷ったときは、できない理由を探すより、できると信じて前に進んだ」と振り返る藤丸氏。現在は、東阪のワイナリーに加え、ワインショップ6軒、レストラン7軒を経営。今年からは自社ワインの輸出にも乗り出した。

 最近は、ベンチャー起業家を目指す人たちを対象にしたイベントにも、よく呼ばれる。「自分をベンチャー起業家と思ったことは一度もなかったが、最近は、ああ、そうなのかなと思うようになりました」と笑う。

(猪瀬 聖)