藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自発に触れる。ただまっすぐ。


運慶展。
プロムナードより。

美術家が、止(や)むに止まれぬ衝動から魂を削って創り上げた作品は、何らかの用途や目的を持って生まれたものとは異なる存在感を持っている。
私は心が弱っているとき、世の中に溢(あふ)れているモノの実用性と、無駄の無さに疲れることがある。

しかし、美術作品には、役に立つためではないものを、ただ創らずにはいられなかった人のエネルギーがこもっている。
その純粋なパワーが伝わってきて、不思議に元気が湧いてくるのである。

「私は心が弱っているとき、世の中に溢(あふ)れているモノの実用性と、無駄の無さに疲れることがある。」
合理性。
経済原理。
今の社会はこんな理屈で溢れている。
楽しむためのドライブ、とか
合成素材をいっぱい使ったアウター、とか言うだけで「バカじゃないの」という視線にさらされる。

「無駄は悪だ」という理屈に抗えるのは「自発」でしかない。

無駄か否か、とか役に立つか、とか省エネか、ということを全く気にしない。
「ただ創りたい」という衝動で何かを作る。
それが芸術だ。
誰も命じず、頼まず、願わず。
ただ本人の創作意欲だけが発露のものに触れると、自分達はそのエッセンスをもらうのだろう。

美術が持つ力 阿古真理

 初めて美術館に行ったのは、小学生のときだった。西宮市大谷記念美術館で、イタリア・ボローニャ国際絵本原画展が開かれた際、母親が連れて行ってくれたのである。美術館HPで確認したところ、それは日本最初の絵本原画展で1978年だそう。ということは、4年生のときだ。

 当時の西宮市大谷記念美術館は、敷地と建物、美術品を市に寄贈した実業家、大谷竹次郎氏の元私邸も展示室として使っていた。和室の壁側にガラスのショーケースが設置され、絵が展示されている。母は部屋の仕切りの透かし彫りを指し、「欄間っていうのよ」と教えてくれた。

 世界のさまざまな国から出品された原画は、色使いも絵のタッチも多様で、世界の広さを感じることができ、観(み)るのが本当に楽しかった。

 もっと幼い頃は、福音館書店の絵本「こどものとも」シリーズが、毎月届くのを楽しみにしていた。今でも覚えているのは、靴の中で暮らす動物か小人の話と、インドの『おひさまをほしがったハヌマン』、『いちごばたけのちいさなおばあさん』だ。

 靴の話は、マンションになっている靴の断面を描いた場面が大好きで、ハヌマンの本は、エキゾチックな絵のタッチが印象的だった。

 『いちごばたけのちいさなおばあさん』は、数年前、皮膚科の待合室で単行本を見つけて懐かしく読んだ。いちごの赤い色は、太陽のしずくを集めた絵の具でおばあさんが塗っていた、という話が印象深く、実りをもたらす太陽の力に気づかせてくれた本だったことを思い出した。

 童心に返れるその絵本原画展は、その後も毎年西宮市大谷記念美術館で開かれており、大人になってから、1人でまた通い始める。ついでに、近くの夙川沿いの小道や浜辺を散策するのも楽しみだった。

 その頃には美術館通いが習慣になっており、百貨店美術館、公立や私立の町の美術館もよく行った。そうしてまずは、印象派ピカソシャガール、やがて写真や現代美術、日本画と鑑賞対象が広がっていった。

 成長するにつれ交友関係も変わったが、なぜかいつも周りにはアート好きがいて、友人の誰かと一緒に展覧会へ行くこともあった。

 旅行や出張でよその土地へ行く際も、必ず美術館をチェックして、気になる展覧会があると美術館へ足を運ぶ。北九州市立美術館では、展覧会開始前日だったのに、「遠くから来たから」と特別に許可をいただき、ボランティアガイドの女性に案内してもらった。美術館スタッフに見学を交渉してくださったその方とは、今でも年賀状をやり取りしている。

 大阪でのフリーライター時代は時間に融通が利くこともあって、少なくとも月に1本は展覧会を観ている。観たいから行くのだが、おそらく阪神淡路大震災で受けた心の傷を癒やすためにも、美術とのふれあいが必要だったのだと今は思う。

 美術家が、止(や)むに止まれぬ衝動から魂を削って創り上げた作品は、何らかの用途や目的を持って生まれたものとは異なる存在感を持っている。私は心が弱っているとき、世の中に溢(あふ)れているモノの実用性と、無駄の無さに疲れることがある。しかし、美術作品には、役に立つためではないものを、ただ創らずにはいられなかった人のエネルギーがこもっている。その純粋なパワーが伝わってきて、不思議に元気が湧いてくるのである。

(生活史研究家)