藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

仮想敵をつくらずに。

ネットが相当の存在感を占める現代に、「人とコンピュータの役割」が議論されている。
昨今のAI論などを見ると、明らかに混乱しているとも思う。

「AIが人の仕事を奪う」とか「AIが意思決定を支配する」というのはあまりに利己的な論争だろう。
建設的でないと思う。

ここ数年の技術の進歩で「かなりのところ」までコンピューターが情報を処理できるようになっている、のは疑いがない。
ついに技術革新は「人知の及ばない規模と連携」になってきたことに「人が恐怖している」のに違いない。

こういう話はこれまでも何度もあったと思うし、結局技術が人を不幸にしたことは一度もなかった、と自分は思っている。
AIに仕事を奪われる、というのは技術に対する人の逆恨み以外何者でもないだろう。

いよいよ鉄道や自動車やトラクター以上に「機械が人を助けてくれる時代」に入ろうしている。

そんな「どんどん人を助けてくれる時代」に、いよいよ「人はさて何をするか」ということをじっくりと考えればいい。

ありがたい話だと思う。
単純作業で働く、ということから徐々に解放されて、人は「さらに次のこと」を考える時期に来ている。
それを機械やコンピューターに憎悪するのは、単なる「人の怯え」だろう。

これから伸びるテクノロジーの先に、さらに人は何を創っていくのか。
一番難しいけれど、人だからこそ考えられるテーマが提示されているのではないだろうか。