藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ともかく落ち着くこと。

二日前に自分の気持ちとの付き合い方という話を書いたら「意味がよくわからない」という声をいくつかいただいてしまった。
のでもう一度。

多分小学校に上がったくらいから、集団生活とか、義務教育とか、家族とか、「それまでは未経験」のストレスにさらされてきた。
多くの人がそうだろうと思う。

それがどんどん年をとると「押しつぶすか、潰されるか」というような事態にもなってくる。
大人になるというのは、多分そういうことだ。

書いてみたかったのは「そういうゴツい相手」のことだ。

「今回のは苦しいなぁ」と思う。
しかしながら、もう経験上「逃げ」はない。
これは自分の人格だ。
「逃げられない、いやな相手」と対峙する。

ふと気がついたのは「この経験値」の話だった。

俗に「修羅場」というけれど、まさにあれだ。
そういうギリギリを経験すればするほど「そういう状況」に耐性ができてくる。
投げてしまって開き直る、のではない。

状況を受け止めて、その中にいて「じっとしている」ということだ。
そして考える。
何度も、何度も。

じっと感がているうちに、万能ではないが、なんとか「良さそうな道」が見えてくる。

それでも最初に諦め気分でいた時よりは、よほどいろいろと練ったものになっているものだと思う。
年寄りは少々のことで動じないのは「そういうこと」を知っているからだと思う。

落ち着いて。
考えて。
決める。

人生はそうして過ぎてゆく。