藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

農業の場合。

玉村豊男さんのコラムより。
田園の憂鬱というタイトルの十数行のテキストに、深いテーマが表されている。

田園は、まさに荒れなんとするのではなく、すでに多くの土地で耕作が放棄され荒廃した。
農地を保全するために国から出ている巨額の補助金は、残された老人たちが荒れ地の草を刈る手間賃に消えている。
政府は農地を集約して規模を拡大し、農業を輸出ができる強い産業にしろという。
が、私が住むような山間地では大面積の集約などそもそも無理な話で、農地法が守っているのは使う人のいなくなった荒廃農地ばかりである。

政治家の誰もが「地方創生」というけれど、それを考えるのは「地場を知り尽くしている」地方の人たちだ。

人口減少時代の農業と農村の未来を、政府はどう考えているのだろう。
答弁に立つ政治家はよく「仮定の質問には答えられません」というが、人口が減ったらどうなるか、そうなっても農地法はこのままでよいのか、仮定の問題を議論するのが政治家の仕事ではないのか。

現場に立つ人からの声は、重く、鋭く、提言的だ。
本当の農業とか、食料政策とか、「戦後の目」で今一度考える必要がある。

田園の憂鬱 エッセイスト 玉村豊男
初夏は田園がもっとも美しい季節である。雨を得て勢いづく緑。太陽を浴びて咲き競う花々。光を観るのが観光なら、農村ほどそれにふさわしい場所はないだろう。

田園は、まさに荒れなんとするのではなく、すでに多くの土地で耕作が放棄され荒廃した。農地を保全するために国から出ている巨額の補助金は、残された老人たちが荒れ地の草を刈る手間賃に消えている。

政府は農地を集約して規模を拡大し、農業を輸出ができる強い産業にしろという。が、私が住むような山間地では大面積の集約などそもそも無理な話で、農地法が守っているのは使う人のいなくなった荒廃農地ばかりである。

農業は食べものをつくる仕事である。だから都会の消費者に生産の現場を見てもらいできたものを食べてもらう、観光の道を切り拓(ひら)かなければ生きていけないと私は考えているのだが、眺めのよい農地にレストランをつくることは認められず、農家民宿の前の荒廃農地を駐車場にしたいといっても転用は許可されない。畑に見学用の通路をつくったり、出荷しない花を植えたりすれば農地の不正使用と指弾される。美しい農村も、このままでは誰にも知られぬまま朽ち果てていくだろう。

人口減少時代の農業と農村の未来を、政府はどう考えているのだろう。答弁に立つ政治家はよく「仮定の質問には答えられません」というが、人口が減ったらどうなるか、そうなっても農地法はこのままでよいのか、仮定の問題を議論するのが政治家の仕事ではないのか。

光がきらめく農村の初夏。美しい田園を散歩すると心が重くなる。