藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

すべてが置き換わるということ。

画像認識を柱とするAIが料理人の、しかも一流の腕が再現できる見込みだという。

素材を見る目とか、客に合わせた最適な調理法とか、包丁のあてかたまで科学されてくれば、いずれ人手では敵わなくなりそうだ。

そして

その肉や野菜だって育てることも間もなくAIが優れてできるだろう。
魚を取るのも、適正な漁獲高を睨んで「自動魚船」で「魚群探知機」が動けば人はいらないかもしれない。

さらには

地球の環境の問題だって、パリ条約とか排出権取引とか行ってますが。
機械の計算力が上がり続ければ「最適な環境値」についてAIが示唆してくれることも近いだろう。

その先にも。

民意をはっきり汲んだ政策だって立てられそうだ。
経営の最適なやり方だって、敵うはずもない。

いろんな「人の集合知」をコンピューターが数値化できるようになれば、一気に「人間の世界」は機械に置き換わるだろうと思う。
人の作業を合理化してくれるコンピューターは、ある意味残酷だけれどそれだけ人類の進化を進めているのだと思う。
(つづく)