藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

満足のデザイン(4)

投資信託はいかがですか」

「いやちょっと国債は…」

*[次の世代に]そいつとの付き合いかた。

「外国株仕組債はどうでしょう」

「いやー金融緩和が過ぎていて…」

金融とか不動産業界の人と話していると、実に真剣な雰囲気である。

それはそう、「自分の財産とか生活に直接関わる話」だから、その辺の世間話とは訳が違うのだ。

けれど一歩引いてみて思う。

いい大人が揃いも揃って何を真剣な顔してああだこうだ言っているのだろうかと。

まるで競馬の予想をしているように。

まるで血液型占いをしているように。

同じでしょ、「そういうこと」と。

 

いい年を生きてきた大人が、ことお金の話になると真剣だ。

損をしないように、少しでも得をするように。

これ、お金以外の他のことでそんな振る舞いをしたら、多分「やめろよ、大人気ないぞ」と嗜(たしな)められるに違いない。

けれど、お金の話はみなさん真剣で、誰もそれを疑わない。

何か、みんなして壮大なお芝居を演じているような気がしてきたのだ。

 

そんなものが、実は壮大な"マネーゲーム"なのだとしたら、あまり深入りするのはよくなさそうだ。

ゲーム中毒になり、本来したかった生活が荒れてしまってはしようもない。

お金の研究は必要だが、それに取り憑かれては「ミイラ取りの」である。

ほどほどに付き合いたいものだ。