藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

改めて生産性(9)

*[ウェブ進化論]クソ仕事の二分類。

"クソ仕事退治"の話をしているが、どう考えてもクソ仕事でしかない仕事が、実は人によってはやりがいのある仕事だったりということもあり得る。

つまりクソ仕事の中には「誰にとってもクソ仕事」なものと「人(や自分)にとってはクソ仕事」になるものに分別される。

 

例えば「国会で法律を作る」という政治家の仕事は非常に重要だ。

だがその立法の過程の喧々諤々を見ていると、到底自分でやりたいとは思えない。

けれど審議され、成立した法律によって世の中が動いていくわけだから、政治家という仕事は「自分にとっては重要なクソ仕事」の分類に入る。

だからそういう仕事に、やりがいや使命感を覚える人が担当していくべきなのだ。

 

よくビジネスマンが政治家になって、すぐに辞めて戻る人がいるが、彼らは「政治のクソ仕事」が性に合わなかったのだろう。

同様に「 公僕として日本を支える」と官庁に入る人たちも貴重な人材だと思う。

それはともかく。

 

不幸なのは「自分にとってのクソ仕事」を図らずも日常の糧にしている人たちだろう。
だからそうならないよう「自分にとってのクソじゃない仕事」を見つけていこう。

それは自分の今の仕事が「ひょっとしてクソ仕事じゃないか?」と疑うことから始まるだろう。

 

特に若い人には医師や法律などの「資格モノ」にも注意してもらいたい。

「手に職をつける」とか「潰しが効く」とかいう古い表現があるが、それを唱えるのは大抵昭和の人たちだ。

 

昭和のクソ仕事にも注意しよう。