*[次の世代に]真っ白いカンバスに。
昭和の偏差値教育の名残は今も残っているようだが、学校もマスコミも親も国も「総出をあげて」均質・高学歴化を目指す時代は、今の価値観に照らしてみると「結構な異常値」だったのではないかと思う。
そういう価値観を疑う若者は、マイノリティの扱いを受けて「規格外」のようなみられ方をしていただろう。
令和の時代に、その振り子が一気に反対に振れ出しているようで、実に痛快な景色だと思う。
まだ社会では「貧富の格差」とか「経済成長」などの尺度が主流だが、もうすぐその"中心軸"がどんどんズレてくるのに違いない。
最近は法律の業界では、一段と「労働問題」が活発だというが、これも「法律で労働者を保護する」という"昭和の目線"の名残である。
AIが単純労働を担うようになり、「人の労働市場は、もっと流動化が進んでゆく」のが今後の流れだろう。
自分たちのせだいは「学びの裁量」とか「仕事選びの裁量」ということに"多様な道筋"を見出せなかった。
逆に言えば「成功のパターン」みたいなものがあって、均しくそんなモノを追いかけて行ったのが昭和の時代。
今の若者には固定的な成功のレールはなく「自由な裁量がある」のだと思う。
まったくの白いキャンバス、からは出発できなかった今の大人たちだから、若者には「自由な絵を描くということ」を伝える必要があるだろう。