藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

創作の意識

*[次の世代に]全ては私が。

時の王様であれ平民であれ。

誰しも、これから先のことをあれこれ考えていると不安になるのは同じらしい。

未来の話というのは可能性と不安を同時に孕んでいるものだ。

 

例えばマンションを買うのに住宅ローンを組むと「完成は3年後です」とか「35年返済です」などと言われる。

3年後はまだしも35年も働いていられるのか? と言い知れない不安が湧いてくるものだ。

 

けれど「3年後の自分とか、35年後の自分というのは、実は今から作られるもの」と思えば不安よりもワクワク感が優ってくるのではないだろうか。

「これまでの話」についてあれこれ言われても、ほぼもう勝負はついている。

けれどどんなに無理そうな話であっても「今からのこと」ならいくらでも考えようはあると思える。

 

どんなに厳しそうな条件でも「これから」を考えることには夢がある。

そしてもし「絶対に無理」と判断したならそこから逃げても構わない。

これからの選択にはエスケイプ! だってありなのだ。

そう考えると「これからを考える」ということは、ある意味無敵である。

失敗とか逃避とか、そんなことすらも選択可能な中で「なんとかすること」をひたすら考えてみる。

将来の全ての可能性を、実は自分が今握っているのだと気付けば完全に「自分モード」に入れるだろう。

 

失敗するというのも悪くない。