藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

不安定を飲み込む。

さあ。
「自分のことを冷静に捉える」というのは古今東西のテーマだ。
戦争のことだってそうだし、毎日の仕事でもそうだ。
今頃になって「多様性を見直そう」というのが流行っているけれど、そもそも「均質化し過ぎていた日本」がおかしかったのだと思う。

損得のことばかりを考えている人と、
損得のことを一切考えないという人がいるのではない。
たくさん損得を考える人と、少し考える人ならいる。
濃いか薄いかがちがっているだけなのだと思う。

「この人、どうしてこういうこと言うんだろう」
なんて驚くようなことも(ものすごく薄くだとしても)
じぶんもそう言ってる可能性があるはずだ。

どんなに正しく思えても「絶対」というのはないのだよ、ということか。
だから、どんなに確信が強くても「根絶やし」にしてはいけない。

右と左は同一の振れ幅だ。

全く白でもなく。
全く黒でもなく。
損得だけでも、倫理だけでも、名誉でもなく。
かといって正義や福祉を振り回すことでもなく。

不安定な自分たちを、どうにか飼い慣らしていくのがこれからの時代たちには必要なのではないだろうか。

今日のダーリン
・「どうしても、人間って、
そういうことをやっちまいがちだよなぁ」
と思うことがたくさんある。
人間ってとか、人生って、と大づかみなことばは、
使うのがむつかしいのだけれど、やっぱり
「人間という生きものがやっちまいがちな性質」のことを
言うときには、そのままそう言うしかない。

人の失敗や悪事は厳しく責め立てようとするし、
じぶんのやりそうな失敗や悪事のことについては、
うまく、無いことにしようとする。
そういう性質は、どの人間のなかにもあると考える。
湖のなかに墨汁一滴というくらいの微量でも、
それは、あるものなんだと考えることが大事なのだ。

そういう考え方を学んだのは、
吉本隆明さんの講演の音源からだった。
ひとりずつ、いろんなちがいのある人間だけれど、
「人間というもの」がみんな持ってる性質がある。
似ているけど、猿と人間のちがいは見ただけでもわかる。
顔や身体つきについて、人間ならではの特徴がある。
それと同じように、考えや行動についても、
人間の特徴というものがある。
「おれはちがう」とどれだけ言い張っても、
「人間という生きものがやっちまいがちな性質」は、
あるにはあるのだと認めたほうが、
その先のやりようがあるし、
ありがちな性質を抱えた上での生きようがあるだろう。

損得のことばかりを考えている人と、
損得のことを一切考えないという人がいるのではない。
たくさん損得を考える人と、少し考える人ならいる。
濃いか薄いかがちがっているだけなのだと思う。
「この人、どうしてこういうこと言うんだろう」
なんて驚くようなことも(ものすごく薄くだとしても)
じぶんもそう言ってる可能性があるはずだ。
大人になるとか悟りをひらくとかじゃなくて、
「できるなら、こうなりたい」と、
多少なりとも「まし」なことを繰り返すことが、
ぼくらのできることなんだろうなと思う。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
吉本隆明の183講演」は無料で自由にお聞きください。