*[ウェブ進化論]結果は実は結果ではない。
自分たちは仕事でよく「結果を出せ」と言われる。
「結果がすべてだ」という怖い言葉もある。
けれどプロセスが間違っていたらいつまで経っても結果は出ない。
もし結果がすべてなのだとしたら、ひたすら「結果」を追い求めればいい。
その結果のために、それこそ「最短で近く」ということが正しいことになる。
そして得られた結果は、そこで終了する。
その先はこれから考える、というようなことになるだろう。
けれど「その先」があるのなら、実は最初に目指した結果は結果ではなく、もっともっと先への「プロセスだった」ということになる。
つまり世の中の多くの「結果」というのは実は本当の最終結果ではない。
その先、またその先にまだいろいろあって、そして自分の寿命が尽きたらそれが結果だ。
いや場合によっては、自分のいない先にも志が続くこともあるだろう。
そうした場合はもう人の命を超えて「何か」がもっともっと先へと進む。
政治とか社会福祉とかいうのはそういう性格を持っているようだ。
ということは、自分たちがしばしば「結果」と呼んでいるものは「実はもっと大きな何かの目標のための標識」に過ぎないのではないだろうか。
まず今見えている結果を出す。
けれど、実はもっと先へと向かう何かがあるのだ、と気づければいちいち「目先の結果がが出たかどうか」にばかり振り舞わされる必要はないだろう。
(つづく)