藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

プロセスと結果の関係(1)

*[ウェブ進化論]結果は実は結果ではない。

自分たちは仕事でよく「結果を出せ」と言われる。

「結果がすべてだ」という怖い言葉もある。

けれどプロセスが間違っていたらいつまで経っても結果は出ない。

もし結果がすべてなのだとしたら、ひたすら「結果」を追い求めればいい。

その結果のために、それこそ「最短で近く」ということが正しいことになる。

そして得られた結果は、そこで終了する。

その先はこれから考える、というようなことになるだろう。

 

けれど「その先」があるのなら、実は最初に目指した結果は結果ではなく、もっともっと先への「プロセスだった」ということになる。

 

つまり世の中の多くの「結果」というのは実は本当の最終結果ではない。

その先、またその先にまだいろいろあって、そして自分の寿命が尽きたらそれが結果だ。

いや場合によっては、自分のいない先にも志が続くこともあるだろう。

そうした場合はもう人の命を超えて「何か」がもっともっと先へと進む。

政治とか社会福祉とかいうのはそういう性格を持っているようだ。

 

ということは、自分たちがしばしば「結果」と呼んでいるものは「実はもっと大きな何かの目標のための標識」に過ぎないのではないだろうか。

 

まず今見えている結果を出す。

けれど、実はもっと先へと向かう何かがあるのだ、と気づければいちいち「目先の結果がが出たかどうか」にばかり振り舞わされる必要はないだろう。

(つづく)