藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

雑踏の中で

*[次の世代に]本質の時代。

先日、大学院を休学して伝統工芸を学び始めたという学生さんと話をする機会があった。

大学では心理学を専攻するものの「どうしてもこのテーマでずっと生きていくという気になれないから」他の道を探しているという。

両親にはチクチク言われる、とも。

単純に立派だと思った。

というか飲食店員さんなどを見回してみると、そうした若者は増えているようだ。

大人たちはモラトリアムだ、早く一人前に働け、というだろうけど気にすることはない。

彼らはある意味羨ましいのだ。

自分たちが「そう」できなかったことが。

そんな迷いの先に何かがあるかもしれない。

 

たとえそれが長くても多分「なんとなくの道に行けばよかった」という後悔は残らないだろう。

そして、でも「なんとなくの道」を辿った僕たちも実はあまり後悔はしていない。

なぜなら「もう取り返せない」ことを当たり前に知っているから。

今の後悔に意味はなく、前を向くしかないし、それでいいと思う。

でもゲームやパチンコは控えめにしよう。

思考が止まるだけでその先につながらない。

 

苦しくても真っ当に手探りをして、悶々として。

決められたルールがなく、同調する仲間もなく、まるで雑踏の中で自分のいく先を決めるような感覚が実は考える肥やしになるだろう。

 

エネルギーや経済だけじゃない人生を探す。