藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

アウトプットの力

*[ウェブ進化論]インとアウトの違い。

最近、自分への「知識のインプットとアウトプット」という話を書いている。

自分の部屋の「積ん読本の山」を見ると、自分というのは「思うほどにはインプットできない存在だ」ということが分かるし、アウトプットもそれほど多いわけではなく、せいぜいこのブログを書いているくらいのものだ。

 

そしてそもそも「自分という器に何を出し入れしたいのか」という大元の方針が立っていないことに気づく。(難)

そもそも、言ってしまえば本能の赴くままに、興味の向くままにここまで生きて来ている訳で、そもそもそれもマズいことのような気がする。

それはともかく。

 

最近、特に音楽表現の「インとアウト」について考えている。

自分の演奏が下手すぎるのが気になるのだが、どうも「練習不足だけが原因ではないのではないか」と思い出したのだ。

今はアナログレコード以来、膨大な音源が残っているため"インプット"にはそれほどの苦労はないはずだ。

 

となると「アウトプットのイメージ力が足りていないのではないか?」と思うようになった。

演奏している時の自分は「ただ鍵盤を叩いて音符を追いかける存在」でしかなく、その仕上がりであるはずの「アウトプットのイメージ」が決定的に足りていない、ということに最近気がついたのだ。

 

どんな音に表現したいのか。

少しやり方を変えてチャレンジしてみたい。