藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

メディアの権威が嫌悪するプログ。

情報発信に、おカネのかからない表現手段。
これにgoogleなどが合わさって、ネットの世界では、既存メディアの権威は相当損なわれた。

有名なブロガー達の影響力と意思伝達の速度は恐ろしく速く、とても出版の比ではない。


明らかに新しい媒体なのだが、まだその意義は本ほど固まってはいない。それはロングテールのせいである。

玉石混交の中から、出てきた「究極のツール」

今や、我われ中年以上の経営者の間でも、「藤野さんでもブログ書いてんの?」が、合言葉になっている。(苦笑)そんな中、皆の共通の感想をまとめてみる。


・趣味や、話題などが自分の人間性を表すので、慎重になる
・食い物のことばかり載せていると、カミさんにバレる
・好き嫌いについて、過ぎたことを書くと、会う前から嫌われることがある
・ついつい、世論の批判、みたいになり、自分で読んでも面白くない


などなど…そんな中、継続している人の共通のキーワードが見つかった。

「誰のためでもない、自分のために書く」ことである。そして、こんなコメントもあった。


『実際ブログを書くという行為は、恐ろしい勢いで本人を成長させる。(中略)ブログを通じて自分が学習した最大のことは、「自分がお金に変換できない情報やアイデアは、溜め込むよりも無料放出することで(無形の)大きな利益を得られる」ということに尽きると思う。』(ref.ウェブ進化論p.164)

結局、ブログは‘自己研鑽’のための道具か。


うまいものを食べ、料理人の腕や、素材に言するもよし、


世情をなげき、一言物申すもよし、


自分の趣味について、唯我独尊もいいだろう。


雑多なものを書く中で、長期的な傾向が見えてくるに違いない。


「自分の人生のなかで、どんなことがテーマ(話題)なのか」を段々と絞込み、
「そのテーマをどう進化させているか」がブログ上で透けて見えてくるような気がする。

(そういった意味では、分野のカテゴリ分類はとても重要かもしれない。)


ここまで書いて、こういった行為が、あるものに似ていることに、ふと気がついた。
なんのことはない、デジタルを使った頭脳の〝修行〟ではないか。