藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

私はどんな人

*[ウェブ進化論]外から見る自分。

ブログなら、他人が読みたい記事を書く。

仕事なら、一緒に働きたい人になる。

友人なら、話したくなる人になる。

自分のことが一番大事なはずなのに、そんな自分を決めるのは、実は他人というああ矛盾。

 

思えば「他人が読みたいことを書く」というのと「自分が言いたいことをいう」というのは、当たり前だがまるで違う。

物理でいう「系が違う」というやつだ。

糸川英夫さんは、何十年も前から相手の頭で考えるという意味の「デセンター(センターを移す)」ということを説いていらっしゃったが、分かってはいるものの自分たちには自我があるから「相手に頭の中を移す」ということをするのは容易ではない。

 

仕事でも同じだ。

「俺はこれだけのことをしている」とか「私の努力の評価は」という話はよく聞くが、「周囲から見て見た仕事相手の自分」を意識することは少ない。

家族でも同様。

自分は「これからも一緒にいたい存在」だろうか。

「適度に利害でつながっていればいい存在」だろうか。

それとも「掛け替えのない存在」だろうか。

 

山奥や孤島で隠遁するのでないならば、他人との関わりの中で生きていくということになる。

そんな中で、自分が一番意識できない「他人から見た自分」という視点は是非とも意識した方がいいだろう。

 

そしてここで、スマホが一役買ってくれるのではないかと思っている。