藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

感情を出すのはなぜか


近ごろ目に付く駐車違反の民間委託の二人組み。
見るたび、メン・イン・ブラックを思い出すのは自分だけだろうか。

と道端で、年配のオバハンが、眦(まなじり)を吊り上げて怒っている。
どうも駐車違反の摘発に文句を言ってるようだ。


「緊急の用だったのに!!!何で私だけ捕まえるの!!!○○△△××…」
とまあ言ってることに脈絡はないが、ともかく。


信号待ちで眺めてたが、妙な気分に。
なぜ、あんなに感情をむき出しにするのだろう。


正気とも思えぬほどの表情。


なにか違った生き物にすら見えた。


共感して欲しい自分たち


どうも最近、気づいたこと。


これまで自分が人や本から学んだことで、どうも最も重要なことの一つかも。


共感。


「共感力」と言うとカルいが。


人は感情を持つ。


何のための能力だろうか。
感情、はなぜ備わっているのか?


生物学的な考察はともかく。
(それこそ重要だろうが、ここでは割愛。たぶん「感情」があった方がより「人らしく」、(動物より高等な)コミュニケートができる、というようなことかな、と思うが)


日常生活や仕事ではどうだろうか。


「共感」はかなりのキーワードではないか。


何のために


仕事上で、「感情」を出すのはどんな時か。


例えば
相手(部下や上司やお客など)が言うことをきかないとき。
・ (自分の主旨を)分かってくれないとき


例えば
自分の嬉しい気持ちを伝えたいとき
・ (自分の気持ちを)分かって欲しいとき


つまり共感して欲しいときではないか。


ということは「感情的な人」は「より共感して欲しい人」ということになるか。


感情と理性


いやそうじゃなく、感情を出すのは「共感」の求めじゃなくて、
相手に「言うことを聞かせたいから(説得)」ではないか、とも言える。


「説得」したり、「思う結果に導く」ためのツールが「感情」だ、という説はどうか。


がこれはどうも違うようだ。


感情をむき出しにする本人、は説得のために「感情的」になっているかもしれぬ。
でもほら、あれを見て。
くだんのメン・イン・ブラック


オバハンは、何とか自分の駐車違反の取り消しを願って、ケモノのような顔をしている。
感情むき出し、
マントヒヒのよう。


一方、二人組みのほうは。


「いやあ!
まったく!
まったく!
まったくですねぇ、奥さま!
急用の時ってありますよねぇ!!
自分だけ魔が差すって言うか!
ねぇ!
もう、申し訳ないって気分で一杯ですっ!
あたしたちも辛いの!。
ホント辛い!!
でも、ほら、あれ、なに最近デジカメで写真撮ったら、ほら、もう行っちゃうし。(どこへ?)ねぇ!


まったく!


あぁ、辛いなぁ、けどまた次行かなきゃ行けないから・・・
じゃあねぇ、安全でねぇ、奥さん!ほいじゃあねぇ。わるいねぇ・・・」


見事な共感ぶりで、ほんの三十秒の手間で次の職場に移る、客さばきだった。
残されたオバハンは不満げだが、どこかガスが抜けたか。


感情的な人は、「共感してもらえば」かなり落ち着くようだ。


面倒でも、理屈(ロジック)だけではなく「共感の意」を相手に伝えること。
特に感情的な人に対しては、重要な話法かもしれない。


そう。
英語でもyes~but(分かる。だが、しかし)ていうもんなぁ。