藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

まじめに

唐突だが、時間の作り方を発見した。
それは言ってしまえば

「だらだらしないこと」だった。


冗談ではない。


ここ三週間くらい続いているのだが。



思えば、よく親や教師に「だらだらするな。」と言われたものだ。
(テキパキやろう、なんて気はこれっぽっちも起きなかったが。)


この年にして、ふと「こんな時間の過ごし方してていいのか?」と思う頻度高く。


逆に「だらだら」は若さの特権かもしれない。


時間は事前にプランすることによって「知らずに」消費するのを防げる。

だらだら 1
(副)スル
(1)血や汗などが流れ出るさま。
「―(と)血が出る」
(2)ゆるやかな傾斜のつづくさま。
「―(と)した坂」
(3)きまりなく長々と続くさま。また、物事をのろのろとするさま。
「工期が―(と)のびる」「―した態度」


三省堂 大辞林より


誰がいったか知らないがうまい表現だ。
(3)の「きまりなく長々と」はまさにだらだら、だ。
これをなくすこと。

念のため。


以下の部分はきちんと「時間のマネジメントができている人」(きちんと休日に予定を立て、それをこなせている人)にとってはまったく意味がないのでご容赦いただきたい。


自分は人生四十年あまりで目前にこんなだ。(嘆)


実践、だらだら排除


会社でだらだらしないのは、比較的簡単。


そこでサラリーを貰っているわけで、だらだらしてたら、自然に「コスト意識」がないと上司から排除される。


排除されない場合は、上司とともに排除されるだろう。


問題は仕事外や休日だった。


「意識しない時間」を減らすこと

だらだら、は「きまりなく」すごすことから生まれる。


遊びも含め、「休日の予定」をきちんとイメージすることで「きまりなく過ごす」ことは避けられるのだ。


ぜんぶ「予め」にするのだ。


自分の場合、「だらだら」の原因は何と言っても「酒」。


休日も飲みすぎが原因で午後まで寝ていたら一日が潰れる、というのは何百回も経験してきた。

平日はいくら遅くとも十二時まで。
休日は9:00から11:00までの二時間しか飲まない。


そして、飲み足りない分は、人生の先輩から伝授された「睡眠誘導剤」を少し飲む。


深酒するほど「浅い睡眠になる」矛盾からの脱却だ。


ここ三週間、12:00に就寝し、6:30に起きる。


休日も平日もほぼ同じ。


平日は朝に2.5時間「可処分時間」が出現。


休日などは十七時間もある。
風呂や食事を除いても十四時間。

セコセコしよう、というのではない。
むしろ、「後悔するような時間の使い方はやめよう」ということ。


これまでの人生で、例えば休日に「事前に何の予定もなく」
明日の過ごし方を考える、ということが自分にはできていなかった。


また、酒を飲まない人などは、こんな苦労など関係ないだろう。


だが「だらだら」してはいないだろうか。
「だらだら」はあてなく過ごす時間の「無駄な浪費の方法」だ。


ボケーっとするのもいい。
遊ぶのも、ゲームするのもいい。


ただ、「惰性で過ごす」のだけはもったいない。


「今から一時間、ゲームをしよう」と意識して時間を使えるように。

「自らの意思」できちんと時間を使う。


「惰性」で時間を使わない。
(時間の「放電」を防ぐ、といった感覚だ。)


これだけのことに、四十年かかって気づく人もいる。


どうしても二十代、三十代では分からなかったなぁ、と回想しつつ。


若い人に何かつたわるだろうか。