- 作者: 正高信男
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2004/04/08
- メディア: 新書
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読み進むうち、著者は「ケータイを持ったサル」を書いた、京大の霊長類研の教授だと気づく。
気になるテーマには、気になる人が集まるものだ。
などと驚く。
さて。
日々の細かい努力(積み上げ)。
それを集積していったものだけに訪れる成功。
「天才」といわれる人の成り立ちを聞くにつけ、それは「天才というよりも、'あることに執心した'天才的な努力」なのだな、と思っていた。
つまり、天才とは「飛躍した」突然のものではなく、日々コツコツと貯めてきた何かの集積が、ある日「開花した」、そんな現象だと。
したがって、だれでも「努力しだい、積み上げ次第で天才的な結果を遺す」と思っていたのだが。
別の視点
「天才はなぜ生まれるか」では六人の有名人が登場する。
彼らが病んでいただろう病名とともに。
・注意欠陥障害のトマス・エジソン
・ループ障害のアルバート・アインシュタイン
・文字定位障害のレオルド・ダ・ヴィンチ
・文法障害のクリスチャン・アンデルセン
・アスペルガー症候群のグラハム・ベル
・多動性症候群のウォルト・ディズニー
自分は「天才性」はただただその「興味の的へ勤勉」がもたらすものだと思っていたが、どうもそうではなかった。
著者は日本の「初等教育整備の完全さ」が、生徒を完全にスクリーニングし、「ふるいにかけてしまっていた」可能性を指摘する。
「才能を伸ばす教育」とはわれわれ大人、が考えていかねばならぬ火急のテーマかもしれぬ。
落ち着きのないディズニー
それにしても、六章で紹介されたウォルト・ディズニー。
小学校から毎日、休む間もなく新聞配達を義務とされ、父からは体罰を受け、兄は家出し、さらに自分は屈辱のバター売りまでさせられた。
死ぬまで消えることのなかったこの記憶と、そんな中、学校で物まねをし、皆の注目を集めている間だけが楽しい時間だった。
彼が築いたディズニー・ワールドは、彼自身が「何をどれだけ、したい放題にしても誰にも文句を言われることのない場所」を体現したものであったこと。
またウォルトにとってテーマパークは「家庭を築く」ような対象であったため、従業員は社員ではない「家族」であり、園内は夜中に徘徊してごみを拾う「自分の領地」であったこと。
そんな発祥から、ディズニーワールドの「過剰ともいえる徹底ぶり」が説明できるとは思わなかった。
ディズニーランドのあの感動は、そのルーツをウォルト・ディズニー自身の性質と、彼の「家庭づくり」を核にしたものであろうこと。
それが他の商用施設と一線を隔している最大の理由なのだ、とあらため納得した。
やはり「動機」とはすべてに影響する「核」なのだ。とそら恐ろしい気持にも。