藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

「強みを伸ばせ」。

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論


その二より「Strength based approach」

「強み」強化のアプローチ。
で、ドラッカーの言葉を引く。

自分の弱点を知っている人は少ない。
自分の長所を知っている人はもっと少ない。
しかし、これだけは全員が絶対に知っておかなくてはならない。
仕事での高いパフォーマンスは得意であることでしか発揮できないということだ。
不得意なもので高いパフォーマンスはーを発揮することは決してできないのだ。
(P.F.ドラッカー)

40年以上前の言葉だという。
さすがドラッカー
寸鉄である。


で考える。
自分のことでもしかり。
他人のことでも、家族のことでもしかり。
短所ばかり目につく。

だが、「そこ」ばかりに気を配り、パワーを消費しても「それ」がずば抜けて突出することはない。


ということを自分たちは見落としがちである。
恥の文化か何か、原因は分からないが「短所」を見つけると、それを恥に思い、相当気に病む。
まああまり恥っさらし、というのもどうかと思うが、短所は短所として、「破たんしない程度」に。
そしてそれよりはむしろ、どこが長所か考え、長所を伸ばすことの重要性に気づいた、という感じがしている。

バッキンガム(Marcus Buckingham)のSBA


バッキンガムはリーダーシップ・トレーナーであり、調査会社の採取した米400以上の企業の8万人からのデータを解析。
そこからストレングス・ベースド・アプローチ、を導いたという。


そして400年前のモンテーニュの言葉にも驚いた。

教育により、ひとは本来もっている自分を強化することはできるが、
まったく新しい自分やより良い自分になるわけではない。


"Natural clinations are assisted and reinforced by education,
but they are hardly ever altered or overcome."-Montaigne


くり返す。
自分の強み、は自分では分からない。
著者はこれまでの転職などで得た「推薦状」を開示してもらって自分の強みを知るための努力をしたという。


誰か私の強みを教えてください。

専門バカの定義


を、『自分の専門を世の中のコンテクストに置くことができないことが問題である』と指摘する。

そのためには「博学」ではなく、『むしろ自分の専門領域の特殊を極めることを通して見えてくる「普遍性」を見抜く能力が必要なのです。』

逆に言えばこの普遍性を備えた専門家、というのは無類に強い存在足り得る、ということだと思う。
専門家、プロフェッショナルと言われる人には貴重な一言ではないだろうか。
偉くなればなるほど、そんなことを指摘してくれる声もないものである。