藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

アングル読書法


「研究者の仕事術」の余波である。


なんだけど、該書の読後からずっと気になっていたこと。
「研究者の仕事術」は研究者という(その中でも真のオリジナリティを求道する)「けもの道」を行く著者がその中で生きてい行く極意、を認めたものだった。
それを研究者ではない「商売系」の自分が読んで、多くの「気付き」を得たわけである。


はて。

著者の専門分野である医学とか細胞学とか、自分はまったく素人なわけだ。

なぜ、その「異質同士」が共振したのか。

著作者の「考え抜いた叡智」。
それをテキストで読解できれば、それを「自分のこれまでの経験軸」とか「現在の生活環境」とかに置き換えることができるのだろうか。
きっとそうなのか。

というようなことが気にかかる。


だが。


ジャック・ウェルチの「ウィニング 勝利の経営」を読んでも、
カルロス・ゴーン「経営を語る」を読んでも、別に自分の経営方針は変わらない。
というかまったく響かない。


どうやら著作物には大きな謎があるようだ。
それも「相対的」な。

自分、から見る。


自分が本を購入して、自分で読む。
当たり前。

だから、自分が一番重要なんである。


これまで難しい本にもずい分と背伸びしてチャレンジしてきたが、とんと響かない(というか途中放置)ものも夥しい。
サルが哲学書を読んでも理解できぬ。
これまでずい分「そんな経験」をしてきたように思う。

『その一』自分の読書力を超えた著作、は役に立たない。


まあそれはそうか。
ただし。
まてまて。


ではアホウは何を読んでも理解できないか、というとそうでもない。

どんな時によいことが起きるかというと、それは「良書」と巡り合った時である。

ふむ。

良書とは何だろう。

これも読み手は自分であるから、「自分次第」である。
自分なり、というか。
一つには、普段自分が使いなれた言葉で構成された、なじみのある語彙で構成された本、ということもあるだろう。
分子生物学の本を読むよりは、ビジネス書の方がいい。


いやいや。
本当の良書、とはそういうことでもないのではないか。
そこで思い当たる。

『構造化』

ウェブ進化論」、が多数のウェブ論系出版物の中で傑出していたのはなぜか。
後から「メイキング・オブ・ウェブ進化論」のような後記や、梅田望夫氏のインタビューを読むにつけ、その著作にどれほどの設計・推敲があったかを知ってずい分驚いたものだ。

「研究者の仕事術」が自分に響いたのも、この著作が分かりやすく「構造化」されていたことが原因ではないか。


と疑いが走る。
言い換えれば「推敲を尽くした」ということでもあろう。


以前梅田さんを「構造化の達人」と称して、なかなかの「ナイスな表現」と褒められたものだが、この「構造化」というのは存外の重要なキーワードなのではないか、と思い始める。


コンピュータのプログラミングで、ロジックの構成に重複命令を排し、各パーツごとに区分けして記述する方法を「構造化プログラミング」という。
思いつきでだらだらと書くのではなく、予め各パートごとに役割を決めて、同じような処理が何度も出現して混乱するのを防止する。


構造化された著作、は名著になりやすい。


いや、それだけではダメだ。

着想、着眼、つまり「テーマ」に優れていること。

当時ウェブ世界について出版した人はたくさんいるし、
研究者も世界にはゴマンといる。

そんな中で「あるテーマ」に執着し、考え続けて、そして「構造化」してゆく。


名著が生まれる過程、というのはそういうものなのではないか。


ベストセラーとか、推薦書とよく目にするが、そういう意味での本当に読んでおきたい著作、というのは

「本自体が構造化され、優れているか」というオブジェクト(著作)の問題と、
「自分が読み、内容を自分の経験や思考、に基づいて『応用できるか』」という自分の『思考レベル』の問題による。
などと思う。

「ホーキング 宇宙を語る」を読んでも、何も覚えていない。
内村鑑三、も途中で挫折してしまった。
エリック・ホブズホームは難解である。


良書との巡り合いはお互い様。


ふふ。
男女の出会いのようである。


だから、こういうことも言える。

      1. ごく稀に、「非常に専門的な分野のプロ」がその「ノウハウ」のようなものとか「習慣」のようなものを考え続けて、「テキスト」にすることを試みる。
      2. そして構造化が進み、さらにその先にある「極意」のようなものにまで着眼し、表現方法もごくシンプルなものに洗練されるまで磨き上がる。
      3. それが、ごく稀にほぼ完全に終了し、出版されて露出する。


それと、webなどを通して知り合い、徹底的につき合う。
ウェブ時代の醍醐味、はそんなコンテンツとの出会いなのではないだろうか。