藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

長門裕之の覚悟。


この4年間、ぼくが洋子を介護することによって、ぼくの人生をもう一度よみがえらせてくれ、人生観を変えてくれた。
本当にいとおしい。
おれを待ってくれるただ一人の女性としていましたから…。
この4年間は本当に楽しかったんで。信じられないですね。
これから洋子のいない世界に、ぼくは踏み出していく…」


これまで自分が生きていて。
大いなる不満、とか後悔は。
少年、成人、青年へと年を経る中で、人生の節目となるような「イベント」についての助言とか、意見交換がない、ということだった。
「そんなこと、先に進言しておいてくれよ」と未だに思うこともしきりである。
そんなテーマは数限りない。


甘えればキリがないが。

勉強ってなに。
なぜ学習するの?
友達って。
学校って。
大人って。


進学って。
異性って。
進路って。


高校、大学って。
就職って。


異性と付き合うって。
仕事って。
家族って。
友人って。
同僚とか、上司とか、社長って。


結婚って。
離婚って。
子供って。
夫婦って。
子育てって。
定年って。
老後って。
趣味って。


生き甲斐って。
病気って。
介護って。
死とは。

そんなことを無限に自分たちは引きずりながら、一生を過ごす。
予想可能なことなど、何もない。
だが、先人から得たアドバイスは充分役に立つ、という思いも強い。
その典型は親子、親族間での交流だと思う。

最高の夫婦


それにしても。
オシドリ、といわれながら「それ」を最後まで体現できるカップルなどまれだろう。
その「難しさ」は、自分もそのはしくれとして、体感的にわかる。
夫婦がお互いに愛し抜き、互いのどちらかが鬼籍に入るまで思い続ける。
いや、鬼籍に入っても思いは変わらぬ。


そんな、当たり前のようでいて、宝石のように輝く夫婦を私はあまり知らない。
長門裕之の夫婦愛は、あの年代にして、あのステイタスにして、剥き出しの、けど徹底的に純粋で飾らない夫婦愛、を身を持って示した、という気がする。

心の底から。
受け止め。
悲しみ。
噛みしめ。


泣き。


報道を聞くこちらの身がすくむ。
姿勢を正して、その言を拝聴したくなる。
そんな迫力を持っている。


若造が、いろいろ言っても、まだまだ本物にはかなわないのか。
そんなことを間近に感じた体当たりのニュースである。
これが「老年の力」なのだ、と厳然と感じた。

長門裕之:洋子は永遠…「思い出の中だけで生きている」
 夫で俳優の長門裕之(75)は21日、東京・浜町の明治座川中美幸(53)の座長公演「幸せの行方」に出演。
昼夜2公演で、昼の部の開演時間は、南田洋子さんが亡くなった4分後の午前11時。
妻の死を知らずに、主人公の父親役を務めた。

 悲報は午後3時すぎから午後4時までの幕あいに関係者から伝えられ、夜の部は涙をこらえて演じた。
その後、午後7時から明治座の稽古場で会見。
100人以上の取材陣を前に「僕のいとしい、大好きな、すてきな女房が21日午前10時56分、さよならも言わないまま永眠しました」と報告した。
前夜、同じ場所で「覚悟は決まってます」と話して、危篤状態であることを明かしたばかり。
覚悟していたとはいえ「このわびしさ、この寂しさ…」と現実を前に絶句した。

 05年ごろから認知症を患った南田さんを介護した日々を「僕の人生をよみがえらせ、人生観を変えてくれた。

僕を待っていてくれるただ1人の女性でいてくれました。

本当に楽しい4年間でした」と回顧。今月17日、倒れる直前に、南田さんが普段は動かない右手で長門さんの指を強く握ったことを明かし「あれが最後の意思表示だった。
あの痛さはいい思い出。

洋子は僕の素晴らしい思い出の中だけで生きている。
これは永遠のもの」と涙でほおを濡らした。

 遺体との対面より舞台を優先したことについては「お客さんはこの芝居を見に来てる。僕のプライバシーは全く関係ない」と言い切った。
それでも「あす(22日)は休み(休演日)なので、ゆっくりお別れできる。
それが最高にうれしい」と語り、会見後は妻が待つ自宅へ。
通夜も、千秋楽(昼の部のみ)が終わった後の29日夜に営む予定で「6日間待たせることになるけど、僕のいないお別れなんてあり得ない。
公演が終わったらお別れする」と説明した。(スポニチ