藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の価値。

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論


最近は、企業の経営相談とか、ファイナンスとかの相談を受ける窓口をしている。
その関係で、企業の実務の現場でのアクションにかかわることも多い。


今日は久しぶりに、トイレに行く時間もないほど予定が立てこみ、ずい分と忙しかった。
だが。


仕事と自分の価値とバリュー

忙しいな、と思いつつ。
でも、自分ならではの仕事、まあ「オリジナル」な仕事をしているのかどうか、と問われると甚だ疑問である。
事務のA君とか、総務のBさんでも十分対応可能な内容である。

自分のオリジナリティ、とは「自分でなければ為し得ない仕事」の価値のことである。

その意味で、日々「自分だからできる」という仕事を作り出し、また逆に「自分でなくともできる仕事」には時間を費やさないこと、というのは非常に重要な観点だと思う。



「手間仕事」が悪いというのではない。
「手空きの時間」には進んでそういう作業をすればよい。


だが、「効率」という意味では「自分が、自分でなければならない仕事をこなしている」という瞬間にこそ、自分の価値が出ているのである、という思いが強い。
それ以外は「他人が代替可能」で、むしろ「若い人のほうがコストワイズ」という原則の世界。

よって「常に向上」を志す人は、常に「自分ならではの仕事」を追求し、希少な付加価値を追い求めることが必要になる。

自分が「ルーチンワーク」に嵌り、「個性」を失うほどに価値を失う。
サービス業、経営視点でのそんな現実に、最近の若い世代は出会っているのだと思う。


ブログがリアルに影響すること。

先日、島岡要さんのブログに、当ブログが言及されてから、いくつか変化があった。

一つは「読者層」の広がりにより、これまでおもわぬカテゴリーの人からメッセージーをもらうようになったこと。とその返事。
もう一つは、「ブログの反応」を見て、リアルに小社を訪問し、「久しぶりに話しましょう」と言う人が急に増えたことである。


本日も来客が二名。
共に二年ぶりの友人。

話題は、「ブログ、見ましたまよ」である。


インターネットが「オフ会」と連鎖している、という指摘は昔からあるが、ブログの反響が読者の「リアル」に反応してくる、というのは新鮮な出来事だった。
不特定の人が閲覧できるメディアが「さまざまな可能性を持っている」ということにあらためて気付かされた次第。


日記帳的な存在であれ、
仕事の伴であれ。



周囲に公開されたメディアというのはいろんなリアクションをもらう。
そんな環境に適応しながらの、web時代を行く、ということだろう、と自分なりの定義をしている。