藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

日銀の判断。


日銀が一年ぶりに十兆円の資金供給をするという。
円高、デフレ対策とのこと。


これまでの同じ轍を踏むような気がして仕方ないが、どうだろうか。
藤原直哉のワールドレポートより。
第一次大戦以降の、歴史のうねりのようなものが簡潔にまとめられていて非常に参考になった。
要約するとこんな感じ。


産業革命以後、「失業」に端を発するロシアの革命から、「貧困・格差の解消」こそが最大の政治課題になった。
そしてその頂点が80年前の世界恐慌時。


そこからヒトラーが台頭、
日本でも二二五・六事件が起きる。
日本はそこから猛烈なダンピング輸出を開始。


そして第二次大戦に突入。
大戦後も貧困はなくならず、さらに東南アジアへの植民地政策で潤っていた欧州が経済的に立ち往生する。
アメリカはそこからベトナム戦争へ突入。
そうこうするうち、イスラム原理主義、が台頭。
いまだ欧米の最大の難敵となっている。


つまり
これまでのいわゆる先進国の施策は、すべて「自国の貧困を克服するため」に、「他国を侵略、もしくは輸出攻勢」で自国の貧困を救済したものだ、というようなこと。


二度の大戦も、その後の冷戦も、そしてNICsBricsはじめの新興国との対峙も、すべては「自国」のためだったのか、と改め思う。


逆にいうと「他国資源の収奪、もしくは(ダンピング的な)侵略」なくしては、今の対外貿易経済は成り立たないのか、と今さらながらに認識した。
あえて、自分たちは第一次産業に戻る努力をしなければならないのかもしれない。


貧困をなくすのに、その解を隣国、他国に求めると必ず収奪とか侵略になる。
そして、それをせずに貧困を克服するには、結局他国をまったく頼らずに「自国」の生命力を強化するよりない。


それは、軍事力とか、外交姿勢ではなく、自国の食物自給率とか、漁業、林業のシェアなのだと思う。
これまでの100年が「他国の侵略」を前提とした反映だとするならば。


今こそ侵略、を前提としない自国独自の繁栄、をようやく自分たちは模索せねばならない。
思えば、一次大戦、二次大戦、終戦、高度成長期、という三つのうねりは、そんな普遍的な価値観を自分たちに根付かせるためのプロセスだったのかもしれない。


ともかく、国の十兆円を当てにするのではなく、自らの「生業」で自らの口を糊する、そんな時代の到来を予測しておきたい。
もう国任せ、お上のせいで暮らしを嘆いてはいられない。



日銀、臨時会合で10兆円規模の資金供給を決定 デフレ・円高克服へ


 日銀は1日、臨時の金融政策決定会合を開き、新しい資金供給手段の導入で10兆円規模の資金を供給し、やや長めの金利低下を促す方針を決めた。

 固定金利0.1%で、国債社債コマーシャルペーパー(CP)などを担保に融資するもので、供給期間は3カ月間。金融市場に一層の資金供給を続けることで、デフレや円高克服に向け、政府と歩調を合わせる姿勢を鮮明にする。日銀が臨時の金融政策決定会合を開くのはリーマン・ショックで金融市場の混乱が続いた昨年12月以来、約1年ぶり。

 日銀の白川方明総裁は2日、鳩山由紀夫首相と経済情勢について意見交換する予定。会談を前に、新たな金融緩和策を打ち出すことで、景気の「二番底」突入を食い止める効果を狙ったものとみられる。

 日銀は声明文で「極めて低い金利でやや長めの金利のさらなる低下を促し、金融緩和の一段の強化を図る」と説明した。