藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

習慣化。


なんとも耄碌したような話だが。

仕事関係とか、友人との約束、なんかはまだいい。



それとは逆の全く自分のプライベートな時間の使い方。

平日の自由時間とか、休日の予定とか。

それらの「段取り」について、四十代になって急に「迷う」ことが多くなった。(疑)

外部環境との何か約束事のあるものは「それ」は動かぬ条件として、いろいろと順番が組めるのでよいのだが。

簡単なところでは、

フロに入ってから、

食事して、

それからrssリーダーを整理して、

音楽の練習。

その後読書一時間ののち、

ブログの整理。



なんてまあ普通にやる予定がある。

でそれ以外に、掃除と洗濯、日用品の補充をネットと近所のスーパーで。

あ、ミネラルウォータと酒もなかったから、電話注文。

でもワインはどこかショップに行かないといけない。

ということは街に出るなら、夕食はどうしようか。



ええと、今日の夜の予定は・・・

新しい譜面が一つと、今日中に読んでおきたい本が1、2冊。

あ、お金がないので下ろしてこないと。

録画してた名曲探偵アマデウス、そろそろ見ないと溜まってるなぁ・・・



そういえば自転車のタイヤの空気がないけど、空気入れの調子が悪いのでどうしようか、近所のバイク屋に行くとしたら・・・

ううむ。



朝一、六時頃からそんなことをボーッと考えている。

大丈夫か、自分。



習慣でペースキープ
ただ年取ってボケが進んでいるだけでもない。

この年にして、「翌日の朝」がペースキープのためのスタートの要である、とようやく悟り、すなわち「前日の夜を制す者は翌日の朝を制す」ということがようやく分かったここ最近。



ただ、その日の体調とか、気分とか天気とか。

あまりに快晴なので隅田川べりに行って昼寝する、とか。

テラスでカフェオレが飲みたい、とか。



そんな自由度も持っておきたいのだ、ということも分かった。

もう30分刻みでガチガチに予定が決まっていて、メモ紙を見ながらいちいちそれをこなしていくようなのは堅苦しい


毎朝六時、どんな天気でも必ず愛犬とともに川辺を散歩する老夫婦の偉大さを、改めて感じる休日の朝であった。