藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生のツボを外さぬために。


質問力、とか解決力、とかスルー力、とか。
なんにでも「力」をつけてみるのは日本人の得意技なのかもしれない。


最近、仕事をしていて思う。
いや、遊びとか趣味でもそうである。
一見して、「あ、これは中々よさそうだぞ。」と思う時。
逆に聞いたとたん「あぁ、こいつぁダメだろぅ」と思う時、がずい分はっきりしてきたように思う。
年とともに短気になってきたのでは、というのが正直な感想だが、一瞬でそんな直観が働くあまり、その代償として「細かな事情」というものに目を向けることもなくなってきている。

俯瞰図の中で。


最近、これも年齢のせいか、自分の仕事とか、趣味とかの「その世界の中」での「ポジション」のようなもののことをよく考える。

今、どの辺りで自分は「モゴモゴ」とうごめいているのだろう。
もう少し先にいくと、何か縁石のようなものがあって、自分の位置がはっきりするのだろうか。
それとも「そんな有難いもの」など元々ないのだろうか。
自分はさまよっているのか、流れているのか、進んでいるのだろうか。

(海に漂流していたらそんな感じだろうか)


ところが。
そんな難しいことは何もなく、簡単に考えてしまえばいいのだ、と最近特に思う。
仕事で言えば、「中小」に分類される業務系システムの会社だし、法律事務所をサポートする仕事でもある。
言ってしまえばそれだけ。

なんでも簡単にする。ツィッター力?


140文字のツィッタが世界を席巻しているが、ながらく「呟き」がなぜそんなにいいのだろうか、と不思議だった。
あれはひょっとして「短くすることで要点描写ができているから受けている」のではないか?
と思う。
ブログは冗長だったり、簡潔な文体であってもいくつもの要点がずらずら書かれていると閉口することもよくある。
ツイッタの慧眼は、「短いから一目で読める」ということと、その逆で「呟き手」が「自然と、言いたいことの要点をまとめる」という俳句に似た効果がもたらしているのだろう、と思う。


コンピュータ会社、とか
システム開発企業、とか
ソフトハウス、とか
情報処理業、とか
SI(system integrator)とか、
ベンダー、とか
IT屋さん、とか。


いろいろ言うけれど、みんな簡単に言えば「お客の業務をコンピュータで簡単にする仕事」である。
それだけ。
刑事は「犯罪者を捕まえる仕事」。
商社は「良いものを仕入れて、欲しい人に売る商い」。
メーカーは「モノづくり」。
コンサルは「助言屋さん」。
弁護士は「代弁者」。
ゼネコンは「建築屋」(そらそうか)。

そんな原点に立ち返るような考え方は、会議でも、仕事でも、趣味でも「ツボを外さない」ためには役に立つ。

そんな風に思えてきた。
細かい事情を見失う可能性はあるけれど。
「ツボさえ外さねば」なんとか、問題の核心の周辺に留まっていられる。


後悔を呼ぶのは、ツボを「大はずし」したときである。
たった一時間の会議であっても。
「この会議、何の意味があったん?」などという結果の時は消耗するものである。(疲)


簡単力を意識してみてはどうか、というメモである。