藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

休日と夜更かし。

久しぶりにフルにお休み。


さて、何をしようかと前日から考えながら、撮りだめていたテレビなどをみて、夜更かしをする。
いやいやしかし「夜更かし」というのは子供の頃からいまだ衰えぬ「怪しい魅力」のある行為である。


「さあ、今日は夜更かししていいぞ。何をしようか。」と企む時の気持ちは幼児となんら変わらぬ。
変わるのは五時まで遊んでしまって翌日の昼過ぎまでは「ダメージ」から回復できず、憮然とした思いで過ごす翌日の気持ちだけである。


からして、いまだに「夜更かし」は楽しい。
若いうちには思わなかった感覚には、この夜更かしに比して「早起きの楽しみ」だ。
ガッと四時くらいに覚醒し、「おっ、今日はこのままいくか」というときは何だか平日を二倍生きるくらい時間があるような気がして、また逆のワクワク感がある。
夜更かしの「悪魔の魔力」に対して、こちらは「あくまで明るい期待感」のようなもので、結果的に建設的なことは、もちろん早起きした方にある。



でも、夜更かしの不良性、というかあの「イヒヒ」という感じは思えば十代のころからずっとある。
親に「早く寝なさい!(なぜ親は画一的にこういうのだろうか))と言われながらも、その目を盗んで菓子を食い、布団の中で本を読むあの背徳感は、何だったのだろう。(虚)
それが、大学生になっても、社会人になっても、そして今に至っても「夜更かしの不良性」というのは相変わらず存在する。
どうやら自分たちには静かに眠るはずの夜に、何かその禁を破るように酒を飲んだり、騒いだり、ということを「ワクワク」楽しんでしまうような性質があるようだ。


休日の営み


さて。
今は午前七時。
まず、平日に着散らかした衣服の整理。
汗をかいたものは洗濯boxに。
飲料水のピンや、ペットボトル、酒の瓶などもまとめて置かねば。
フローリングの床は一週間も放っておくと髪の毛やチリが目立つので、掃除機をかけねば。
溜まった食器も全部洗って。
洗濯機を回し。
お、もう天然水のボトルが二本しかないからカクヤスに頼み。
姿見の鏡とか、洗面台とか、そして外を見る窓もずい分汚れているから、磨かないと。


ここ二週間、デタラメに頼んだアマゾンの本たちも、整理しないと段ボールのまま山積みだ。
で、それから音楽の練習と、溜めていた本の整理。
あっという間に夕方になる。


八時。
あっ、メシ!
昼も食べずにかまけていたから、晩メシはどうしようか。
すぐに行きつけの店に電話。
「あ、いま満席です」
「あ、いま四組、十名待ちです」
「もう食材が切れて終了しました」


人気の店は休日も油断ならない。
自転車に飛び乗り、晴海通りをうろうろするうち、ようやく入れそうな店を見つけて一安心。


人心地ついて、さてようやく今週のことなどを考えたりする。
さて、明日の朝まで、まだ十二時間以上ある。
数時間は自分の好きに使っても支障あるまい。


さーーーて。
1Q84とか、マンガを読むか。
溜めこんでいた洋画のDVDをみようか。
それとも何か別のこと???



そんな妄想、が今一番楽しいのだと気づく。
結局はあまり翌日にダメージの残らない、無難な選択に収斂してゆくのだが。


年を取ったなら、取ったなりに「夜更かし」というのは楽しいものなのだ。
夜に向かって何かをするこの快感は、なかなか無くならないに違いない。


夜更かしか、早起き。
そのどちらかを楽しめれば、これからの人生、あまり退屈しないだろうと思う。
さあ今夜だ楽しみだ。