藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

旬になれ。


昨日、「自分の旬はいつだろう」というようなことを考えていて気がついた。

「旬がいつか」ではなくて「今を旬」にすることが大事なのだ。

年代別の旬。

十代の(今にして思えば)青臭く、でも溌溂とした青魚のような若者は、それはそれで旬である。
酢で〆めたりして、少し酸を効かせてみたりして、味わう。
飾らずそのまま素焼きにしてもよいだろう。


それに比べ、四十代くらいになると、男も女も脂がのってくる。
これは体がユルんでくる、ということもあるが、外見も、人間性にも言える。

だんだん「ネチッこく」なってくるというか、まあ味が出てくるというか、良くいえば深みのようなものか。


とにかくまあ、ひたすら情熱だけで進むでもなく、かといって実はまだまだ当人は思慮深いわけでもなく、中途半端だが、「変化率」が一番たかいジェネレーションかもしれない。


そして六十代以降。
これは年を追うごとに哲学的な味がある。
自分は最近、元気な若者と話すのも好きだが、六十、七十、八十代の人と話すととても興味深い。
「自分は普天間基地については、県外やむ無しか、と思いますが」と何人の先輩に聞いただろう。
みな「当たり前である」という意見や「今が決断の時」とか「土台、日本は(軍事的には)独立国家ではない」など、実に「戦争を直に知る世代、見聞きした世代」の時代観が感じられて楽しい。


彼らは、普段は聞く耳持たぬ若者に閉口していて、あまり積極的に語らないが「聞きたがっている若者」に対しては大そう話好きである。
もとより、自分より若い人に、何かを話して「伝承」してゆくことはどの国でも当たり前にあった慣習だから不思議なこともない。
ともかく、「こちらから伺う」という姿勢ならば、我われはまだまだ先人からいろんなことを教わることができる。

老人も旬。


自分も七十後半の父親や、またその周囲の「アラウンド70'-80'」の人たちと話していて思う。

今の自分たちが「聞きたい」コンテンツは、間違いなくこの辺りにある。ということ。

自分より「四十年、五十年先」から遠近法で見通した時代観を聞くことは、まるでタイムマシンに乗っているようでもある。
八十代は八十代の旬がある。
で、それは当人の「生き様」とか「ありよう」も重要なファクターだけれど、それと向き合う「自分側」のモチベーションが大きな部分しめるのではないだろうか、と思うのである。

旬を味わうのは、当人の「舌」次第。

人づきあいをプラスにするもしないも、自分次第。
また自分が「誰かにとっては'旬'」でいられるかどうか、も自分次第なのだろう。


自分で自分の旬を終わらせてしまわないように、できればずっと「旬な人」となりたいものである。