藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

コラムが語る。


浅井愼平さんの珠玉のコラム。
その短い文の伝える本意が、ものすごく人物の匂いを放つ。
その時代を肌で生きてきたひとが、その時代を語る。
それが「懐かしく、痛い」という表現になっていた。

この2、3年、身のまわりを整理しているのだが、それが、なかなか進まない。
その中心が本の類だ。
類と書いたのは、雑誌や書類、手紙やメモなどもいつの間にか溜まりに溜まっているからだ。

ここは不思議な共感。
浅井さんの年齢にはまだまだだけれど「身の回りの整理」とか、「今日一日にしたいこと」の整理が進まないのは、四十代になって急に感じる事実である。
三十代までは考えもしなかったことだが、何かが本能的に「追い立てて」いるような気がする。
違うかもしれないが、そんな感覚だろうか。

そして、その、懐かしく、痛いという感情のことだが、別の言い方をすれば、恥ずかしく、痛い。


たとえば、昨日は片づけながら見つかったDVDを観(み)た。
ぼくが撮影したコカコーラのCMが流れた。
まあ、なんのてらいもない、堂々たるコマーシャルだった。
サーフィン、スカイダイビング、スキーなどをダイナミックに撮っている。
音楽も「カモンイン、カモンイン」と高らか。そこにあるものはなんのためらいもなく、ただただ明るい。


70年代の半ば頃の仕事なのだろう。
いまの若者が観たら何を感じるだろうか。


ぼくたちは、古いものが壊れ、新しい時代が来ると信じていた。

ここまで引用して、やはりいい文章には無駄がない、と改めて感じた。
文章の奥から、何か言いたいことがグイっと押し出てくるようである。
いっぱしの作家でも文法や、冠詞や接続詞の使い方が全然イケてない人は多い。(読者目線ですが)
それに比べ、この文章にはぜい肉がまるでない。

やがて時代は資本主義のエゴに走りモラルを失い、日本も世界も変わっていく。

そして結びへ。

ぼくは過ぎさった広告の日々を懐かしく、痛いと感じ、恥じ入っている。
それにしても、気づかなければ毒は甘い。
いまでは広告は夢を語らず、虚しさを伝えているように思われる。

浅井さんが経験してきた数十年の文化を「ザッと」俯瞰したようなコラムである。
日々雑多なテキストを読んでいて、なぜ自分がこのような文章に惹かれるのか、というのも自分自身、不思議で仕方がない。

けど、このコラム、「文章の濃さ」が並みではない、と既に自分の感性が興奮してしまっている。
ちょいちょい、そんな文章に行きあたるのが、何となく活字中毒のような症状を引き起こしているのではないか、と自分なりに分析してみたり。


浅井さんにお会いしたことはないけれど、きっと情熱的な人なのだろうということが伝わってくる。
文章は人柄を映す。
実に奥深いものである。
そして、いい文章は何度も何度も、読み返してしまうものである。

懐かしく、痛く、恥じ入る
懐かしく、痛いという感情が湧く。


この2、3年、身のまわりを整理しているのだが、それが、なかなか進まない。
その中心が本の類だ。
類と書いたのは、雑誌や書類、手紙やメモなどもいつの間にか溜まりに溜まっているからだ。


そして、その、懐かしく、痛いという感情のことだが、別の言い方をすれば、恥ずかしく、痛い。
たとえば、昨日は片づけながら見つかったDVDを観(み)た。
ぼくが撮影したコカコーラのCMが流れた。
まあ、なんのてらいもない、堂々たるコマーシャルだった。
サーフィン、スカイダイビング、スキーなどをダイナミックに撮っている。
音楽も「カモンイン、カモンイン」と高らか。そこにあるものはなんのためらいもなく、ただただ明るい。
70年代の半ば頃の仕事なのだろう。
いまの若者が観たら何を感じるだろうか。
ぼくたちは、古いものが壊れ、新しい時代が来ると信じていた。


そう、あの頃のぼくたちは60年代を引きずりながら、憑(つ)かれたように何かに熱中していた。
「何に」かはよくわからず、ただ若さのエネルギーをふりまいていた。
ヒッピーの時代でもあった。


たとえばローレンス・リプトンの「聖なる野蛮人」に「ひとつの文明国の周辺部に野蛮人があらわれる時には/それはその文明国が危機にあることを示している/もしも野蛮人が/戦いの武器ではなく/歌や平和の像を持ってあらわれる時には/その危機が精神的性質のものであることを示している」とか、スコット・マッケンジーの「サンフランシスコに行くなら/髪に花を飾って行くといい」とか。


まあ、ぼくはそんな野蛮人であったし、髪に見えない花を飾ってサンフランシスコにもいった。


やがて時代は資本主義のエゴに走りモラルを失い、日本も世界も変わっていく。
いま、ぼくの机の上に積まれた本の一番上にあるのは、佐野山寛太の新書「『追悼』広告の時代」(洋泉社刊)だ。
ぼくが髪に見えない花を飾って広告づくりに熱中していた頃、佐野山さんはアートディレクターとして、ぼくのリーダーだった。
一緒にデルモンテ・トマトジュースなどの仕事をした。


佐野山さんは、その頃からラジカルだった。
時代の矛盾、歪(ゆが)みにはとても鋭敏で、評論をしながら広告の仕事をするような人だった。
人が人らしく生きるために人は何なにをしたらいいかをいつも熱く語っていた。
広告のことを"透明大怪獣"と呼んでいた。その"透明大怪獣"が死に瀕(ひん)し、「大量生産→大量流通→大量販売→大量消費→大量廃棄」の終焉(しゅうえん)を迎えたと佐野山さんは書いている。


ぼくは過ぎさった広告の日々を懐かしく、痛いと感じ、恥じ入っている。
それにしても、気づかなければ毒は甘い。
いまでは広告は夢を語らず、虚しさを伝えているように思われる。

[どらく] - 朝日新聞がビートルズ世代に贈る、こだわりエンターテインメントサイトより