藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

三月。

<政治>
東北沖で大地震津波で死者・行方不明者二万人超す、11日
福島原発炉心溶融含めレベル6級の被災、自衛隊懸命の放水続く、19日
佐藤夕子議員、民主離党で減税日本へ移籍表明、当日は受理せず、3日
前原外相、外国人からの政治献金受領で辞任表明、6日
東証大証、月内に統合協議へ、10日


仏戦闘機、リビア政府軍車両を攻撃、米英も介入へ、20日
中国、2月度は11カ月ぶりの貿易赤字に。春節原油高響く

<社会>
apple、i-Pad2を発表、薄さ2/3に

19才の予備校生、試験問題漏えい、偽計業務妨害で逮捕に3日
自殺者増、就職失敗が原因は422人に

NZ地震、犠牲者161人に



<経済>
テルモ、米医療機器を2100億で買収

ルイヴィトンのLVMH、ブルガリを最大4200億円

崩れる常識


今月は何と言っても震災が日本の政治も経済も、さらには世界の政治や経済にも波紋を起こし続けている。
この度の災厄では、それまでの日常生活では気がつかなかった「常識」がいくつも覆ってしまった。
原発を含め、日常生活の維持には想像を越えた「電力供給」が必要だったこととか、
安全だと思っていたそれらの施設が、「ある値」を越えた事態には根底から崩れてしまうこととか、
つまり今までの「経済原理」というのは「ある程度までのリスク」を織り込んで「ある程度の費用で準備する」というものであって、ということは「経済的に見合わないようなリスク」はどんどん切り捨てられてきたのだ、というこが露呈したのである。


またそんな「緊急時」には危機管理と政治的なリーダーシップがいかに大切か、ということも世界に悪例として示してしまったが、これも「それまでの国内政治の混迷」がいかにばからしいものだったか、ということをあらためて国民に気づかせ、目を覚まさせたのではないだろうか。


津波対策は「一定のリスク」を想定されて施されていたのだが、「7mまでのつもりが14m」になってはいかんともし難い、というのが今の自分たちの世界の「経済合理性」なのだ、というようなことも目の当たりにすることになった。


今さらの話ではあるが、そもそも今回津波の直撃を受けたような場所に、人が住んだり原発を作ったりしてよかったのか、ということについては、今後の自分たちは「経済的に見合うかどうか」ではない別の理屈を持たないと、また形を変えて同様の事態が起きてしまうのだと思う。
そういう判断の基準、こそが文化というものだろうか。


いかに便利で、コストワイズであっても「あえて実行しない」というような判断基準を、自分たちは独自に作り出し、文化として積み重ねていかねばならない。
日本人は一般に「西洋文化」といういい方をするが、そのようなものにここ100年ほどはどっぷりと浸かり、またそれだけの恩恵を受けてきたのが日本だろうと思う。
おりしも世界最速の高齢化社会を迎え、政治も紛糾していた矢先、いつも「きょろきょろ」している日本人だが、ここ一番ぐいっと方向転換する契機にしたいものである。


特に先月まではEU、中東での市民運動から、ついに英米仏のリビア戦争へと「オールドエスプリッシュ」の瓦解は進んでいた。
世界的な「変局点」の中心に、図らずも日本が躍り出てしまったような気がする。


人ごとでなく、自分の足元から変えていかねばならないと思う。