藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

物事の両面性。

サンデラ教授の「イチローの年俸は高過ぎるか」というのもいいが、こういうのも現実的でよい。
読売新聞、人生案内より。

六十代後半で「人生初めての女の喜び」を知りました。

しかし、お相手は伴侶がいるというとのこと。
さて、あなたはどう思うだろうか。


この場合は、回答者の樋口恵子さんも苦慮している。

私はつい最近、この「人生案内」で、夫に人生の最後で裏切られた70代の女性に慰めのことばを書いたばかりです。とてもあなたの恋愛にゴーサインは出せません。

と、これまた真面目に「ご自分の立場」で真剣に相談者問題を捉えているのである。
そして

相手の妻の許容や寛大さを期待してはいけません。
あなたの極楽は相手の妻の地獄です。
その上に乗って進むとしたら、人に相談しないでトラブルを一身に引き受けて耐える覚悟を固めるべきでしょう。

と続く。
自分もそう思う。

やはり人間は「倫理よりも情熱」の生き物なのだろうか。

変わらぬモデル。

江戸時代の心中物とか、近代文学太宰治とか三島由紀夫とか。
いろんな文学に普遍の話題の柱である人情物。
結局、現代の自分たちも「まさにそれ」で生きているということなのだろう。
いくら他人の過去を学習しても、今の幸せを認識して、平穏な日々を過ごしていても、いざ「失楽園か否か」という究極の選択は、自分でするしかないのだろう。
しかも「そんな機会」に遭わぬ人の方がずっと多い。


だから「無理心中」はニュースになり、人々の口上にのぼるのである。

なかなかは出来ぬことだけれど、どこかにそんな願望を持っている。

そんな「究極の場面」に出会った人は幸せなのだろうか、不幸なのだろうか。
そんな価値観すらも、互いの側から「幸せである、いや幸せでない」と考えられる自分たちは、なかなか素敵な時代を生きているのではないか、と思う。


で、この相談の答えは、「自分で背負う覚悟で、行け!」だと自分は思う。
皆さんはどうだろうか。


60代、不倫で初めて喜び知る
60代後半の女性。4年前に夫を亡くしました。最近、妻のいる男性と深い関係になってしまいました。


 男性とは、とあるサークルで知り合いました。とても優しい人で、彼に誘われて関係を持ち、初めて女の喜びというものを知りました。彼の奥様は、私たちのことを知らないと思います。


 亡くなった夫とは22歳で結婚しましたが、酒を飲むとすぐ暴力を振るう人でした。子ども2人はそんな夫の振る舞いを反面教師としたのか、とても素直に育ち、どちらも年内の結婚が決まっています。また、夫の遺族年金と私の基礎年金を合わせて月に十数万円もらっており、経済的には何一つ不自由していません。


 男性の家庭を壊そうとは少しも思っていませんが、今の幸せも失いたくはないのです。私も年です。この先、男性と交際していいものか、アドバイスをお願いします。(静岡・M子)



 進むべきか、退(ひ)くべきか。岐路に立ったとき、できるだけ傷つく人の少ない道を選ぶ方がよい、と私は思います。特に高齢者になってからは。あなたの異性関係が漏れれば、だれよりも彼の妻は傷心の老後を送ることになります。今はあなたの味方であるお子さんたちの気持ちも揺れるでしょう。


 私はつい最近、この「人生案内」で、夫に人生の最後で裏切られた70代の女性に慰めのことばを書いたばかりです。とてもあなたの恋愛にゴーサインは出せません。


 さりとて、60代後半で初めて得た女の喜びを手放したくない気持ちもよくわかります。だってあなたは前半生で暴力的な夫との暮らしに耐え、心優しいお子さんを2人、立派に育て上げたのですから。遺族年金でゆとりある老後を楽しく生きるのは当然です。


 そこまでで満足することはできなかったのでしょうか。相手の妻の許容や寛大さを期待してはいけません。あなたの極楽は相手の妻の地獄です。その上に乗って進むとしたら、人に相談しないでトラブルを一身に引き受けて耐える覚悟を固めるべきでしょう。


 人生が長くなって、高齢期の愛と性はこれから顕在化する予感を持ちました。

 (樋口 恵子・評論家)

(2011年5月20日 読売新聞)