藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

貧困からの脱出。

日本の相対的貧困率、が過去最悪だという。
これが「絶対的貧困率」ではないところが微妙だが、それにしても意外な感じである。
ところがこれも「高齢化の症状」だった。

そもそも、「相対的貧困率は、国民一人ひとりの所得を順番に並べ、中央の値の半分より低い人の割合だ。」

ということである。
高齢者が「より貧困に」なってきた、ということらしい。
これも「世界最高齢モデル国」である日本の宿命だろう。
女子、母子家庭の貧困が増えているのである。(女子は寿命も長い)

発想の転換

課題先進国、と言われる日本が先進的に直面している日々の課題。
これは、その「とば口」は田中角栄首相の"年金世代間扶養"に間違いないと思うが(つまり「先の若者に養ってもらう」という悪制。)
もう一旦「ユルんで」しまったものは、急には巻戻らぬのが世の常である。
しかも史上最大の「借金漬け」になって久しい。
もう"頑張って貯めてから"というスローガンは現実的ではないことを、今の60歳以下は肌で感じているだろう。

そうした時にはこれまでとは「ガラリと変わる」発想の転換や、制度の改編が必要である。
日本の製造業がこれまで何度も成し得て来た「ブレイクスルー」である。
為替レートが実に"五倍"になっても凌いできたのである。
自身を持っていいと思う。

市場や所得が縮む「初めての状況下」で、これまでのような公的な「福利厚生制度」ではない、「一対一」に近いような相互扶助の制度が、古いようだが実は「次世代繁栄の方策」になるのではないだろうか。


端的にいえば、もっと身近な"里親・里子制度"とか"地域内高齢者扶養のサークル"などを夢想する。

「制度や方程式」での統治は、右肩上がりの時代には「いい意味の統制」をもたらしたけれど、これからは"人の善意"が優先する次代になるだろうと思う。
そんな価値観の時代において、「制度で保障されている」という論理主張は、恐らくもう「時代遅れ」になっているだろう。
そしてそれに一番早く気づき、実践できるのは日本人ではないだろうか。


ますます、これからの日本人が楽しみになってきた。

日本の相対的貧困率、過去最悪
低賃金の非正社員が増加
相対的貧困率は、国民一人ひとりの所得を順番に並べ、中央の値の半分より低い人の割合だ。この場合の所得とは、収入から税金や社会保険料を差し引いた1人当たりの所得を指す。厚生労働省が7月に発表した2010年調査では、年間112万円未満が貧困になった。相対的貧困率は16%で、前回の07年調査より0・3ポイント上昇。1986年調査以降で最悪となった。

経済協力開発機構OECD)の調査では、2000年代半ばの相対的貧困率は、日本はメキシコ、トルコ、米国に次ぐ4番目の高さだった。

日本では、一人親世帯の貧困率が際だって高く、50%を超える。貧困世帯の子どもの割合も高水準で、健康や教育への悪影響が心配される。

日本の貧困率が高い理由の一つとして、女性の賃金が低いことが挙げられる。女性は、非正規雇用の中でも特に賃金が低いパートやアルバイトが多く、正規雇用の場合も、管理職への登用が少ない。一人親世帯の貧困率が高いのも、大半が母子家庭で、親の収入が少ないためだ。

正規雇用は全体的に増えており、貧困が拡大する原因になっている。正規雇用より賃金が低いだけでなく、景気悪化で仕事を失うことも多く、貧困に陥りやすい。

貧困率をさらに押し上げているのが、少子高齢化だ。生活保護受給世帯のうち、半数近くが高齢者世帯。生活保護を受給している高齢者世帯の9割が一人暮らしだ。国民年金の平均受給月額は5万4320円(2009年度末)で、家族などの経済的な支えがないと、生活が苦しくなる。

貧困対策として、政府の「社会保障・税一体改革」では、正社員を中心とする厚生年金や健康保険などの対象を非正社員にも広げる方針。また、仕事を探している人に無料の職業訓練や生活資金の補助を行い、求職を支援する。

いったん貧困状態になると、再び生活を安定させるのは難しい。国や企業を始め、社会全体で、貧困に陥るのを防ぐとともに、貧困から抜け出すための支援に取り組む必要がある。(飯田祐子

(2011年8月30日 読売新聞)