藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

揺れる振り子。

yomiuri online「Biz活」より。

重商主義」。
そんな言葉も忘れていた。
mercantilism(マーカンティリズム)というらしい。

英語のメディアで近年、しばしば目にする言葉に mercantilism (マーカンティリズム)があります。

コラムの筆者はこれに「新しい重商主義の到来」を読み解く。
それにしても。
重商主義が「保護障壁政策」だということと、日本がそれそのものだった、という意識はかなり離れていた感じがするのである。

「自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によって資本を蓄積して国富を増大させようとするもの」(大辞泉

70年代から、日本車の"土砂降り輸出"とか言われ、欧米からバッシングされていたけれど、それが「日本独自の強い意志で」誘導されていた、と言う感じはしない。
なぜかと思ったらこういうことだった。
つまりアメリカの傘下だったから。

Under the postwar U.S. security umbrella, Japan tried a different track: mercantilism.
日本は戦後、アメリカの安全保障の傘の下で、(自由貿易とは)異なる道、すなわち重商主義の道を歩もうとしてきた。
イギリスの経済誌マネーウイークの電子版も11月9日付の記事でこんな指摘をしています。

Japan's extraordinary economic success pre-1990 was based on export-led mercantilism.
1990年以前の日本経済のめざましい成功は輸出主導の重商主義に基づくものだった。

日本に住んでいながら、「一応」自由貿易だと思っていた。
が、確かに「アメリカの安全保障下」でのことだったのだ。
属国などと言われる所以である。
そして迎えた二十一世紀。
また「新しい保護主義の時代」が来るという。
先進国がそろって不景気の中、今度は「対日」ではなく「対新興国」というより大きな冷戦構造が生まれている。

今度の戦争はこれまでのような「二国間の小競り合い」では済まない予感があるし、また先進国の不景気の暗雲もこれまでのものよりも分厚いような気がする。
TPPの議論は日本国内でも喧(かまびす)しいけれど、そんなところにもネオ保護主義はすでにの片鱗は見え始めている。
沖縄問題もあり、日本はすでにアメリカの傘下から外れつつある、と見る向きもある。
まだ日本が独自の意思で歩んでいる、という感じは(少なくとも国内政治からは)しないが、いよいよ本当の「一人立ち」が求められているのだろう。
よちよち歩きからでも、始めなければならない。

mercantilism 新しい重商主義の時代
英語のメディアで近年、しばしば目にする言葉に mercantilism (マーカンティリズム)があります。

意味は「重商主義」です。高校の世界史の教科書にも載っている言葉ですから、懐かしいと感じられる人もいるでしょう。


重商主義は16世紀から18世紀のヨーロッパ、特にイギリス、フランス、オランダなどで支配的だった経済思想や経済政策です。
辞書を見てみると、次のように説明しています。

「自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によって資本を蓄積して国富を増大させようとするもの」(大辞泉

この言葉はその後の時代も保護貿易的な国に使われてきました。


例えば、第2次世界大戦後の日本がそうでした。米紙ワシントン・ポストは日本のTPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加を論じた11月12日付の社説で、こう述べています。

Under the postwar U.S. security umbrella, Japan tried a different track: mercantilism.
日本は戦後、アメリカの安全保障の傘の下で、(自由貿易とは)異なる道、すなわち重商主義の道を歩もうとしてきた。
イギリスの経済誌マネーウイークの電子版も11月9日付の記事でこんな指摘をしています。

Japan's extraordinary economic success pre-1990 was based on export-led mercantilism.
1990年以前の日本経済のめざましい成功は輸出主導の重商主義に基づくものだった。

近年は中国など新興国の経済・貿易政策を批判する際に使われるケースが目立っています。
例えば、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは11月4日付の記事でこう書いています。
Traditional economic powers such as the United States and Europe are justifiably concerned about growing mercantilism in major emerging countries.

アメリカやヨーロッパなどの伝統的な経済大国は、(中国など)主要新興国重商主義の傾向を強めていることに正当な懸念を示している。
これらのケースでは、重商主義という言葉は様々な形の保護主義的な政策を、欧米先進国が批判する形で使われています。

その背景には、自由貿易を掲げてきたアメリカやヨーロッパ諸国が経済危機に見舞われているのに、中国をはじめとする新興諸国は保護主義的な政策を取り続けて成長を続けていることへのいらだちがあります。


一方で、欧米の先進諸国も企業の活動を積極支援し、輸出拡大を図ろうと躍起になっています。大統領や首相がトップセールスマンとして海外を回るのは今や当たり前の光景になりました。


こうした動きは古典的な意味の重商主義とは違うのですが、「新しい重商主義」と呼ぶ専門家もいます。


イギリスの経済学者アダム・スミスが著した「国富論」(1776年)は重商主義批判の書でもありました。それ以来、重商主義自由貿易主義の論争は様々に形を変えながらも繰り返されてきました。


欧米諸国は今も自由貿易体制の維持・拡大を掲げています。しかし、新興国の急速な追い上げの中、企業に自由に競争させておけばよい、という余裕がなくなってきたことだけは確かです。

筆者プロフィル

大塚 隆一
1954年生まれ。長野県出身。1981年に読売新聞社に入社し、浦和支局、科学部、ジュネーブ支局、ニューヨーク支局長、アメリカ総局長、国際部長などを経て2009年から編集委員。国際関係や科学技術、IT、環境、核問題などを担当