藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

楽しみの極意。

毎日を楽しく過ごすか、"うざったく"過ごすか、さらには"酷く使役的な気分"で過ごすか。
というのは、一重に自らの「気の持ちようの在り方」である。

これは例えば堅気の仕事で、ホワイトカラーで、上場企業に勤めるビジネスマンであっても、また(自分は経験がないが)ボランティアのNPO法人に所属していても、また刑務所などで服役している身であっても、その「心の持ちよう」というのは同様・同質なものではないかと思うのである。

「今の自分の立場に、"腐ってしまって"はどのような職場もつまらなくなるし、またどのような境遇であっても"今の立場を有り難いものだ"と思う心あらば、人は頑張れるものなのだと思う。」

超エリートも服役囚も、その気の持ちようでどのようにも変化し得る、「人の気持ち」とは実に「変化ののりしろ」の大きな、柔軟な存在である。

マインドとの付き合い方

そういう特性を、なんとなく分かってくると、今度は反対に「自分の心との付き合い方」などが分かってくる。

つまり「意欲的でなくなっている」とか、「くさっているな」ということが感じてくれば、それに対して「どういう処方が必要か」ということも分かってくる。
自己管理の一部だと思うけれど、重要な「自分との付き合い方」というか、「自分の心の飼い方」と言えるかもしれない。

自分ではあまり認めたくないが、心はとってもデリケートで、扱いが難しいものなのだ。

「やる気がなくなっているいるな」とか、「どうせ成功しないだろう」などという気持ちが先立っている状態はよくあることだが、すでに自分自身も"負の心"に染まっているのである。

そういうことに気づいた時こそ、「必ず成功する」とか「そもそも何のために始めたのか」とか「自分の役割は何か」ということを反芻しながら、"本筋の思考回路"へと戻さねばならない。

人の心理状態というのは、実に簡単に折れてしまったり、また鋼のように不屈の存在になったりするものである。
その根幹に宿るものは「精神性」に他ならない。
精神というソフトウェアに、自分たちの日常はすべて影響を受けているのだ、と認識すると日々の心の変化にも落ち着いて考えることが出来るように思うのである。